イースタン・プロミス【完全ネタバレ】
(この映画を観ていることを前提に)
キャリア30年、デビッド・クローネンバーグの演出はいよいよ円熟の域に達しつつある。
死体の指を切断するなどのグロテスクなシーンも出ては来るが、過去の作品のように、
それを見せ場として、派手に演出するようなことはせず、食事や会話のシーンと同様に
抑制の効いたタッチで描いている。
これは、当該ロシアン・マフィアにとっては、殺人も日常のひとコマであるということを
表現していると同時に、視覚的な見せ場に頼らずとも緊張感を持続し終盤までみせきる
演出力を得たのだというクローネンバーグの自信のあらわれのように感じる。
前半の演出は、ひたすら役者の演技をみせることに徹している。
すなわち、
ヴィゴ・モーテンセンの実直さ。
ヴァンサン・カッセルの不安定さ。
ナオミ・ワッツの美しさ(それは、儚そうにみえるが、じつは強い)。
アーミン・ミューラー・スタールの醜さ…。
ことに、ヴィゴとヴァンサンの関係は秀逸。
ヴァンサンはヴィゴを頼りにしているが、それ以上の感情が根底にある。
ダークスーツを端正に着こなし、皮の手袋とサングラスを常に着用しているヴィゴは
フェティシュな匂いをぷんぷんさせている。
(古い例えで恐縮だが、ブライアン・デ・パルマ監督作品「フューリー」のジョン・カサヴェテス
の、あの黒いスーツの感じ。)
ヴァンサンは、そうした彼の匂いに惹かれ行動を共にしている。
娼館で、ヴァンサンが「俺の見ている前で、女とヤれ!」とヴィゴに命じ、実際、
そうさせるシーンは、現実にはヴィゴとまぐわうことを望んでも果たせないヴァンサンの
倒錯した心情を確実に反映している。
そして、中盤以降演出はいっきに加速する。
組織にハメられたヴィゴがサウナで大乱闘するシーン。
ここの演出は本当に見事で、肉がぶつかり、骨がきしむ音が聞こえてくるよう。
裂けた皮膚がこすれるたびに、こちらにも痛みが伝わってくる!
(またまた、古い例えで恐縮だが、ジョン・シュレシンジャー監督作品「マラソン マン」
のパンツ一枚で傷だらけの死闘を演じたロイ・シャイダーのごとき痛々しさ)
パンフレットでクローネンバーグが語っているとおり、最近のハリウッドメジャーの
クイック・カットでつないだ、なにやってんだか把握できない性急なだけのアクション・シーン
とはおおきく異なるリアリズム。
更にヴィゴがアンダーカバーだったと知るに至って、それまでの数多くの潜入捜査ものの
記憶があざやかによみがえる。
そして、終盤。
新生児を救うためのちょっとした緊張のシークエンスのあと大団円を迎える。
暗闇に浮かび上がるテーブルにぽつんと座るヴィゴ。
最終的に彼は刑事としての職務を全うするのか、それとも、朱に交わりマフィアとして
のぼりつめるのか。それは描かれない。いや、描かない。そんな結果はどうでもいい。
優れた男性映画とは、一匹狼の虚無を描き、我々は現実には果たせない理想をそこに見るのだ。
このラストシーンでクローネンバーグはまぎれもなく、それを描いた。(○)