「銭ゲバ」最終回「受験番号4219」(ネタバレ)

TVドラマ「銭ゲバ」が終わった。
ずっと見ていたのだが、原作が発表された1970年代の風景を現代に置き換え、幾つかの設定の
改変を経てどう決着をつけるのか、最終回まで見てからでないと感想は書けないと思った。


そして最終回。


驚かされるのは、この最終回、主人公(松山ケンイチ)が自殺を図るべく自らに纏った
ダイナマイトの導火線に着火してから、本体が爆発するまでの数分間の出来事であるということ。
大胆な構成の妙。


その数分間に、現実には至らなかった「主人公の考える『幸せ』のエピソード」が挿入される。


そこでは、
主人公の父親(椎名桔平)は、飲んだくれの甲斐性無しではなく、母子を見守る温かい男であり、
主人公は、友人(柄本時生)と恋人に囲まれた爽やかな学生生活をおくっており、
卒業後は、一流企業に就職、居酒屋で愚痴を聞いてくれる理解ある上司もおり、
学生時代から付き合っていた恋人(木南晴夏)と結婚、子宝に恵まれる…。


子をいつくしむ両親、恋と友情、暖かい家庭、
行き着け洋食屋の人々も、職場の人々も善意に満ちたひとばかりの美しい世界…


お金より大切なものがここにある ように みえる


しかし、どこか居心地の悪いこの映像は80年代のトレンディー・ドラマのようにみえる。
そう、成熟した経済に支えられた豊かで安定した社会を背景として産み出されたあの時代のドラマだ。


そこで我々は気付いてしまう。ここで主人公が夢見た世界は、ささやかな幸せではないことを。
80年代においてはそうであったかもしれないが、就職もままならず、生活保護世帯の認定率が
過去最高の水準を示し、犯罪が増加する現代の我が国においては、彼の想い描いた世界は一部の
成功者のみが得られる「幸福」であることを。


つまりは 銭 に よって 支えられた 幸せ …。


そう思った瞬間、爆死した主人公の時間は逆転し
「俺は間違っていない」という独白ののち、何の余韻もないまま、唐突にエンドマーク…。


主人公は、結局、自ら死を選び、しかし、もっと別の行き方もあるのではないかと考えるに至り、
死ぬことを躊躇し、醜態をさらす。


そして結局は死ぬ。


彼の生き方は間違っていた?


しかし、前述のごとく、金がなけれは幸せは買えない?


どちらも正しくて、どちらも間違っている。
そんな現実を突きつけて終わるこのドラマ。
これは、いま時代を象徴する一本として、今後も語られていくのではないか。


何話目かのエピソードで職にあぶれて、駄目になった椎名桔平扮する父親が呟く。
「俺がこうなったのは、誰のせいだ…?」
「時代か…!?」
そう。正に、この作品はそんな時代が生んだ傑作だったと思う。
70年代に発表されたジョージ秋山氏の原作を、今、この時代の作品として、なまめかしく映像化した
ことは本当に意義深いと思う。


輝かしい未来への切符であるはずの主人公の大学受験の受験票は「死に往く」だった…。


それは、今の時代を生きる我々の日常に潜む
混沌や不安や絶望を象徴しているではないか。