Mother 最終回感想

先日「Mother」最終回を見たので、今更ながら感想を。
〈あらすじ〉「もう1度誘拐して」と言う継美(芦田愛菜)からの電話に奈緒松雪泰子)は
動揺する。そんな中、葉菜(田中裕子)の病状は日に日に悪化。奈緒は入院中の葉菜を
家に連れて帰る決意をする。家に戻った奈緒らの前に、施設にいるはずの継美が現れる。


いよいよ最終回。教師と生徒として出会った二人は、誘拐という形で擬似親子として過ごすうち、
段々と愛情が深まり互いに離れられない存在となった。初回は俯きがちだった奈緒は、
娘を愛してどんどん強くなり燃えさかる母性に戸惑ったり怯むようなことは決してなかった。
物事を冷静に捉えられるはずだった奈緒が、娘の為なら罪を重ねることも厭わなかった。
だから、奈緒恋しさのあまり室蘭から会いにきた継美を、「今晩泊めて明日施設に帰す」と
藤吉(山本耕史)に即答したのは少し意外だった。
「このままでは二人で共倒れ」「あの娘に未来はない」周囲に何度言われても、
奈緒は頑として継美を手放さなかった。それが、なぜ今度は離れようとするのか?


執行猶予付きで選択の余地はなくても、奈緒は二人で生きる術をもっと探すべきだった
という考え方もあるのかもしれない。
でも私は、継美を愛しているからこそ奈緒は離れる決意をしたのだと思う。
というのも、前回藤吉が見せた継美の施設での様子は、奈緒の娘への愛情のあり方を
変えるきっかけになったのではないだろうか。奈緒が娘と引き離され涙に暮れていた日々、
継美は施設で怜南としてたくましく生きていた。それは、娘には現実に対応出来る、
生きる能力が備わっていることを奈緒に認識させることになったと思う。
そんな時、今度は継美から「もう1度誘拐して」という電話がくる。これも奈緒には衝撃だったろう。
継美も片時も奈緒を忘れたことはなかった。奈緒に会いたくて苦しんでいるのだ。
けなげな少女に涙したが、見方を変えれば、これは日々の暮らしに順応していく自分と奈緒への愛情に
引き裂かれている姿でもあるのだ。
だから、奈緒は継美と離れて生きていこうと、継美を怜南に戻してあげようと考えたのだと思う。


また、例えもう一度誘拐しても今の奈緒では継美を守れない。
「ごはんを作ったり、笑ったり、そんな普通の生活」を継美に送らせてあげることは出来ない。
だからその部分を施設の人達に託そうとしたのだと思う。
「家族」という形ではないが、そういう場所にも子供達を心から大切に思う人がいる。
奈緒は「桃子さん」を通してそのことを知っている。
子供は親の自己満足の為にいるのではない。奈緒は継美の強さを信じて、
娘を生かすために離れて暮らす決意をしたのだと感じる。


この決断に大きな影響を与える葉菜との会話にも心を打たれた。
継美と離れられるのかと不安を訴える奈緒に静かに告げる葉菜。
奈緒とお母さんだって30年かかってまた会えた。あなたと継美ちゃんは、まだ始まったばかり。
あなたがあの子に何ができたかは、今じゃない、あの子が大人になった時に分かるのよ」
この人の生き方がよく表れた言葉だと思う。会えなくても、憎まれても、奈緒の母親であり続けた。
彼女が「持ち去りたいもの」を誰にも告げずに逝った時、「死ぬまで親である」生涯を
貫くことの偉大さを感じた。
子供の頃に見た葉菜の顔を思い出した瞬間、「お母さん、あのね。」とまるで継美のような
話し方になる奈緒の姿にも涙を誘われる。離れていても互いを大切に想っていれば、
どんなに時間が経ってもそれは必ず実を結ぶということを、奈緒は信じられたのではないかと思う。


奈緒達と鈴原家の「女だらけのあんみつパーティー」のシーンには感動。
藤子(高畑淳子)が継美をギュッと抱きしめるところから、ドラマなんだけど
もうこれ以上ない幸福感に溢れていた。お互い苦しんだすえ、血縁とか家族とか、
そんなものすっ飛ばして本当に近い存在となった人達に流れる、完璧に幸せな空気が
画面から匂いたっていた。この後すぐに葉菜は死去して継美は施設に戻り、この時間の再現は
永遠に叶わない。そのほろ苦さも相俟って胸に深く刻まれるシーンとなった。
奈緒も笑顔で映る記念写真が哀しくも微笑ましい。幸福と喪失をともに感じさせる
この写真を捉えたラストシーンには何とも言えない深い余韻を感じた。


葉菜の死と入れ違いに芽衣酒井若菜)が男子を出産する。「産んで良かった」と言う芽衣を見て
女性として嬉しかった。ハマリすぎてたとえドラマでも芽衣の決断について語ることに
気が進まなかったが、この言葉を聞いて、私は彼女にそう言ってもらいたかったのだということに
気がついた。
また藤子が語った「命ってこうやって繋がっていくのね」という言葉にも考えさせられた。
葉菜の母の写真を見て奈緒が「続いてるんだね」と言っていたが、その時は血の繋がりを
語っていると思っていた。でもそれとはまた別に、人の想いが受け継がれて繋がっていく関係性や、
関わった人との縁を感じさせる命が、日々の営みを繋げているということも確かにあるのだと感じる。


そういった「想いだけで繋がれた強固な絆」が、奈緒と継美の別れに現れていた。
奈緒は継美の母親であることは最後まで譲らなかった。施設に帰ることを嫌がる継美に告げる。
「私はお母さんをやめたりしない。離れていてもずっと継美のお母さん。
そしたらまた会える日が来る。お母さんは必ず継美を見つける」
子供だましと感じるかもしれない。でも、この言葉はおそらく継美の生きる糧になるはずだ。
同じ空の下に自分を心から大切に思ってくれる人がいる。必要としてくれる人がいる。お母さんがいる。
離れていても継美は自分の存在意義を感じることが出来るのだ。
だからこそ、小さな継美は力強い足取りで施設に帰っていったのだと思う。


奈緒の決意も二十歳の継美に宛てた手紙に現れていた。
「あなたとの明日を笑顔で待っています。あなたに出会えて、あなたの母になれて良かった。
あなたの母であった季節。それが私にとって今の全てであり、そしてあなたと再びいつか出会う季節。
それは私にとってこれから開ける宝箱なのです。愛しています。母より」
奈緒と継美が得たものは同じだと思う。そして、それは離れたことで消え去るようなものではないと
二人は信じている。冷静に考えれば12年後の再会なんてありえない。
そんな不確かなものを支えに生きていくなんて出来そうもない。でも必ずまた会える。
理性でも論理でも説明できないところから湧く希望。
それを奈緒が信じること、継美に信じさせることが、奈緒の母性が最後に行き着いた形なのだと思う。


全体の感想としては、坂元裕二氏の脚本が本当に良く出来ていて、各回のセリフや状況の伏線が
ドラマ全体に縦横無尽に張り巡らされており、連ドラを腰を据えてじっくり見る醍醐味を
味わわせてくれた。「母性」というテーマを男性が描くことで、若干理想に流れる向きも
あったかもしれない。そこを、「男の人の幻想ですよ」と葉菜に突っ込ませるというフォローまで
行き届いていた(笑)。
児童虐待に始まり、誘拐・逃亡・逮捕・別離と怒涛の展開だったが、終始ゆったりした
カメラワークと演出は、激しい展開を意識させず、脚本の意味や演技の凄みをじっくりと
堪能させてくれた。


脚本を十二分に表現した俳優陣も穴が見当たらないほどの素晴らしいキャスティング。
芦田愛菜ちゃんがいなかったらこのドラマは成立しなかっただろうし、
田中裕子さんの恐ろしいほどの演技力にはただただ呆然とした。
必要以上の老けメイクを施してもあんなすごいオーラを発揮出来るとは・・・。
その田中裕子の葉菜に一歩も引かない藤子を演じた高畑淳子さんにも同等の演技力を感じた。
この二人の母のシーンは毎回とにかく物凄いグルーヴで何度固唾を飲んだかわからない。
仁美を演じた尾野真千子さんも損な役回りなのに高い演技力を感じさせた。
そして、何と言っても主演の松雪泰子さんが素晴らしかった。
初回は能面のようだった奈緒が、母となってからは髪は乱れ眉間には皺が刻まれ、
でも表情や声はどんどん優しくなって人間らしい顔になっていく。
微妙な変化や心理を巧みに演じ奈緒という女性を我々に惹き付けてくれた。
ドラマに引きずり込まれる快感を味わいました。


実際、とても消耗する作品だったが大変な満足を得られたドラマだった。
三ヶ月充分楽しみました。ありがとうございます。(クーラン)