Mother 第十回感想

先日「Mother」第十回を見たので、今更ながら感想を。
〈あらすじ〉仁美(尾野真千子)の告訴状を受け、警察は奈緒松雪泰子)を逮捕。
マスコミは、虐待の事実は報道せず、奈緒と鈴原家は世間から非難を浴びる。
一方、継美(芦田愛菜)は、室蘭の児童養護施設に預けられることに。
奈緒と面会した藤吉(山本耕史)は、継美をあきらめるように諭す。
裁判の結果、奈緒に執行猶予つきの判決が下りる。
籐子(高畑淳子)達家族との生活に戻った奈緒のもとに、継美からの電話が・・・。


今回は、旅を終えた親子のその後を描いた話だった。
この回で一番考えさせられたのは「奈緒が継美に母性を抱いたこと。それこそが罪」という藤吉の言葉。
これまで、藤吉というキャラクターは何のためにいるのか?という漠然とした疑問を抱いていた。
ルポライターという狂言回し的な意味は多分にある。しかし、この「mother」という物語では、
男性の存在をかなり注意深く省いている。その中で、何故藤吉が男性でなくてはならなかったのか。
そこで、前述の藤吉のセリフを聞き、この人はこの言葉を語るためのキャラクターだったのだと
ようやく気がついた。藤吉は虐待児童を救えなかった過去があり、心情的には奈緒
共感・加担している部分は大きい。それでも、彼は理性のフィルターを通して事件を見守り、
常々奈緒に警告し自戒を促す。大雑把な見方だが、藤吉の視点はいわゆる男性的なものだと思う。
ルポライターとしての論理的な視点と男性的な冷静な視点。その視点で奈緒の事件を精査するのが、
藤吉が担った役割だったのだろう。そして藤吉が奈緒の決断を総括したのが、前述のセリフだった
ということになる。


藤吉の言っていることは正しいのだと思う。法治国家である以上、法を破ればどんな理由であれ
罰を受けるのは当たり前だ。しかし、それは分かっていても「母性を抱くことが罪」という言葉には
馴染めなかった。
親に殺されかけた子供を救い、母として慈しむ。それは「罪」なのだろうか。
その答えとして、法律的には執行猶付き有罪となった。それは理解できる。
しかし、ここで言う罪の本質はそこには無いように感じた。


元々の奈緒は物事を冷静に捉えられる女性だった。ところが、継美の母親になると
理性では抑えられない感情に突き動かされて、普通では考えられない行動をとり、
とんでもない選択をする。その原動力は継美への母性だ。
その割を一番喰ったのが鈴原家で、藤吉は彼らが支払った痛手に対して償うべきだと奈緒を諭す。
しかし、罪悪感に駆られながらも奈緒の心は継美から離れることができない。
奈緒の継美に対する激しい愛。一人の女性にここまでさせてしまう母性こそが罪なのかもしれない。


しかし、この罪が奈緒と継美と葉菜(田中裕子)を幸せにしたのは間違いないことなのだ。
あとうまく言えないんだけど、喜びと苦しみって背中合わせなのではないかと感じる。
奈緒にしてみても、娘を得た喜びと家族を傷つけた苦しみはどちらが勝っているというわけでは
決してないのだ。
奈緒の罪の代償を支払った鈴原家が「誰も悪くないのよ」と語っていたのが印象的だった。
誰も悪くないのに喜びも苦しみも同時に背負う矛盾。それもこれも全て愛情から引き起こされたこと。
そこに、正しいとか間違っているとかいう基準はないように思えた。


継美の実母・仁美がついに逮捕された。「私を死刑にしてください」と叫び涙する仁美。
彼女が娘を思って流す涙を初めて見たような気がする。これまでの涙は自分を哀れんで
流した涙だったと思う。この母子も互いを愛するごく普通の親子だったはずだ。
それが時々の選択を誤った結果、親子と言うにはあまりにもかけ離れたところにきてしまった。
仁美の今後がどうなるのか気になる。


藤子から葉菜の病状を聞き、声にならない声を上げた奈緒の表情にはグッときた。
「お母さんを看取ってあげなさい」という藤子に「怖い」とすがりつく奈緒
初めて弱い部分をさらけ出す奈緒と、「怖くても行くの」と告げる藤子はようやく普通の親子に
なったんじゃないかなと思う。良い時も悪い時も寄り添い支えあう親子。大変な時だからこそ、
どこにでもいる当たり前の親子の姿に力強さを感じる。


葉菜と奈緒の抱擁のシーンにも涙した。「あなたの娘でいさせて」と告げ抱き合う親子。
「ずっとこうしたかった」と涙する奈緒に「私も」と答える葉菜の姿に号泣した。
再会した時から、というより生き別れた時から、本当はずっとずっと抱きしめられたかったのだ。
「一日あればいい。人生に大切な日が一日あれば、それで生きていける」
そんな哀しいことを言っていた葉菜にもう一日大切な日が加わったと思う。
葉菜を許せずこの時を迎えられなかったら、奈緒は一生後悔したはずだ。
でも、二人だけでは和解はなかったと思う。継美と藤子がこの二人を親子にさせたのだと感じる。


その継美には最後の最後で泣かされた。
「どうして迎えに来てくれないの。継美ずっとずっと待ってるのに」
施設では怜奈と名乗り友達と楽しげに遊ぶ姿は、奈緒のこともすっかり忘れているように見えた。
でも、継美は奈緒を片時も忘れたことなどなかったのだ。
「お母さん、もう一回誘拐して」
仁美に「助けて」と訴えて以来、この子は自分のことで誰かに要求をしたことはなかったと思う。
継美が子供に戻って初めて求めたものは「奈緒に会いたい」という願いだったのだ。
このお願いには愕然としたし、ここまでお母さんを慕う少女の姿にどうしようもなく胸が痛んだ。
奈緒がここまで深く愛さなければ継美もこんな苦しみを知らなくて済んだのかもしれない。
これこそが奈緒の罪なのだろうか?でも、この二人は愛することの喜びと苦しみを知って
初めて生きている実感を得られたのではないかと思う。
最終回をどう着地させるのか?なにより継美の本当の幸せをどういった形で描くのか?
興味はつきない。(クーラン)