「恐怖のメロディ」イーストウッド映画のウラオモテ

先日、フィルム・センターでクリント・イーストウッド監督・主演の「恐怖のメロディ」を観た。
テレビで何度も観ているのだが、スクリーンでの鑑賞は初。
初監督のイーストウッドの気勢に満ちたさまを象徴するような長い長い空撮のシーン。
これは、やはり大画面で観ることでその真価を発揮することを痛感。


あえて初監督にアクション映画ではなくサイコ・スリラーをもってくるあたりも、監督イーストウッド
の意気盛んな様子をみてとれる。


そう、本作はスリラー映画。
カーメイル市の人気DJのイーストウッドが、BAR(マスターを演じているのがダーティハリーの監督であるドン・シーゲルなのは有名な話)でナンパした女(ジェシカ・ウォルター)と一夜をともにする。適当にあしらうつもりのDJ氏の思惑をよそに、女は、執拗に彼につきまとう。鬱陶しさ最高潮のDJ氏。つれなくされる女。やがて満たされない女の熱情は殺意へと発展していく…。


「危険な情事」が公開されたとき、本作のパクりじゃねえか、と話題になったのも今は昔。
ストーカーなんて言葉が頻繁に使われることのなかった70年台初頭にこの題材を取り上げた
イーストウッドの心意気たるやよし。


今回、観て気付いたこと。
本作における仇役の設定及び主人公との関係。


○仇役は、偏った考えに固執し他者の意見を受け入れない
○仇役は、孤独
○仇役は、殺人者
○仇役は、一度逮捕されるが、数日で釈放され
 ふたたび主人公の前に現れる
○仇役は、自らの身体を傷付けることによって
 さらに主人公を追い詰める
○仇役は、主人公の一撃によって水面にたたきつけられ死ぬ


これは、イーストウッドの次回作「ダーティハリー」における
ハリー・キャラハンとさそり(アンディ・ロビンソン)の設定と全く同じ。


ついでにいえば、無人のスタジアムでハリーがS&WM29をブッ放し、さそりを追い詰めるシーンで、
カメラがぐんぐん被写体から遠ざかり、スタジアムを一望する空撮になるあたりも、「恐怖の…」
で頻繁に用いられる空撮と重なる。


軟派なイーストウッドと硬派なイーストウッド
しかしながら、どちらの作品も「追うものと追われるもの」の関係。
恐怖のメロディ」と「ダーティハリー」は、コインのオモテとウラだ。(○)