「007 慰めの報酬」ボンド映画の終焉

昨日は、夕方から「007 慰めの報酬」(監督:マーク・フォースター)を観に有楽町に出掛ける。
ジェームズ・ボンドダニエル・クレイグは全作よりサマになっていた。
しかし、作品的には、これはよくない。
007/慰めの報酬 オリジナル・サウンドトラック
事前情報で、主演のダニエル・クレイグは、アクションシーンで骨折し
たり顔を大怪我したり等、大変な目にあったと聞いていた。
おそらく本当のことなのだろう。
スタントも相当にレベルの高い仕事をしているのだと思う。
しかし、あまりにも短いカットの連続と、カメラを振って被写体を的確に
捉えないその演出は、今、そこで何が起こっているのかを確認させて
すらくれない。


例えば、冒頭の屋根づたいのアクション。追うクレイグも追われる悪役の人(役者名失念)も
同じような体型に同じようなダークスーツなので、目まぐるしい展開のあの撮り方だと
両者を判別することすら困難であり、彼らの駆け引きが全く伝わらない。


又は、カーチェイス。早過ぎて何がなんだかさっぱりわからない。ボンドの運転するアストンマーティン
のドアはいつとれたの?


こんな性急なテンポでは、ボンド映画の魅力でもある男のフェティシズム
アストンマーティンもオメガ・シーマスターもトム・フォードのスーツも)じっくり堪能することが出来ない。


そして、本作のボンドは本当に超人的に強くて、どんなに傷を負っても、どんなに出血しても、
全力疾走してベスト・ファイトで相手に勝つタフさをもって描かれていて、人間味のカケラも感じられない。
ここまで無敵だと、スティーブン・セガールの映画同様、大人と子供が喧嘩してるみたいな、
主人公が勝ってアタリマエの展開になってしまって興をそぐ。


また、アクションシーン以外でボンドは当局にケータイで情報を照会してるだけで、何の諜報活動も
していない。イアン・フレミングの原作ってミステリ小説じゃなかったっけ?


この恐ろしく無機的なアクションと空虚なストーリィはなんだ!?
いったい何をたのしめというのか。


「007美しき獲物たち」のころ、ボンド映画はもう駄目かな、と思っていたのだが、
ピアース・ブロスナンに変わって、ちょっとだけ息を吹き返したこのシリーズ。
これではいよいよ打ち止めの日は近いか!?