アメリカン・ギャングスター

リドリー・スコット監督作品「アメリカン・ギャングスター」を観る。
スティーブン・スピルバーグの「ミュンヘン」やデビッド・フィンチャーの「ゾディアック」同様
70年代実録アメリカもの。
そして当時の様子をリアルに再現することに執着してるのも同じ。


本作の場合はデンゼル・ワシントン(野心家)がハーレムの下っ端ギャングから成り上がる物語
なので、アクロス110THストリートのブラザー界隈の描写が丁寧に描かれる。
このリアリズムは本当にすごくてパッと画面だけ見ると当時の映画を観ているような錯覚に陥る。


落書きだらけのアパートメントには赤ん坊の泣き声が響き(当時のコノ手の映画には必ず
出てくる描写)、画面をチラっと横切る女性は「ラファイエット・アフロ・ロックバンド」の
「MALIK」のジャケ写まんま、背後に路駐してる四角いキャディラックやデカ達のファッション
まで細部に至るまでぬかりない画面作り。


←(チラっと横切る女性のイメージ)
だが、私が最も気になったのは、デンゼル・ワシントン
の側近の人のヅラの浮き具合。
この細かい役作りは何だ?
この明らかなるヅラに対して、しかし本編では
何の言及もない。
知っているのに知らんぷり、とは、黒社会に身をおこうとも常に紳士たれとする
デンゼルの面目躍如か。(○)