夕飯

ということで今日の夕飯

  • 豚肉とキャベツのコチュジャン炒め(ピーマン・パプリカ・人参・玉葱)
  • 厚揚げのみぞれ煮(竹輪・えのきだけ・茄子・人参)
  • 長芋とアボカドのおかか和え(ラディッシュ・キュウリ・プチトマト)
  • ワカメと玉葱の味噌汁


★「リーガル・ハイ」第8回鑑賞。<あらすじ>天才子役・メイ(吉田里琴)が、所属事務所社長で母親の留美子(小沢真珠)と絶縁したいと古美門(堺雅人)に相談。
古美門は黛(新垣結衣)に止められるも快諾する。留美子は三木(生瀬勝久)に弁護を依頼。審問の日、三木の御意見番として
古美門の父で元検事の清蔵(中村敦夫)が現れる。


なんと古美門の父、現る(爆)! 父・清蔵は、古美門に負けず劣らずの理屈っぽさ。
「サンタクロースは実在するか否か」で、クラスメートと揉めた古美門を、容赦せず論破して叩きのめす。
暴力をふるうでもなく、声を荒げるでもなく、丁寧な言葉で、どんどん幼い息子を追い詰めていく清蔵を見て、教育している
つもりなんだろうけど、情が感じられないと思った。清蔵から情を学ばなかったから、古美門はクラスメイトにも、あんな物言いを
して、あげくそれが今に至ってるんじゃないのか? 古美門みたいな子供に「頭が悪い子は嫌いです」と言うのは、酷なんじゃないか
と思う。幼い頃は、それだけが拠り所だったのだろうから。しかし、あの古美門でも、子供の頃は泣いたりしてたんだなあ(笑)。


一方、天才子役・メイの依頼は、母親の留美子と絶縁したいというトンデモナイものだった。
目立った虐待の様子もないのに、実の母の親権を停止出来るのか?親子を引き裂く手伝いをするのか?と、黛も言う。
しかし、メイの実態は、母親に馬車馬のように働かされ、ストレスで喫煙し、急性アルコール中毒になるまで飲酒に走る
哀れな少女なのだと、古美門は主張する。
一方、母親の留美子は、娘の稼ぎで金回りが良くなり素行が派手になったが、それだけでは、親権停止の要因にはなりえない。
それに、留美子はメイを愛しているのだ。娘の金遣いが荒くなると好き勝手に使えないようにして、年の離れた交際相手とは
別れさせた。娘を心配する母親としては当たり前の行動で、これにことごとく反発するメイの態度は、いわゆる「反抗期」特有の行動。
これは、メイの当たり前の成長過程なのであり、喜ぶべきことで、当然親権云々を争う類のものではない。と清蔵は主張する。


「君は昔から卑屈で卑怯でなにより頭が悪い。弁護士になるべきではなかった。」と言い捨てる清蔵に「スカイツリーは昭和の
電波塔より遥かに大きい。時代は変わったのです。」と古美門は返す。
清蔵の言葉は、久しぶりに会った息子にかけるにしては、あまりにもキツイ一言で、若干ひいた。
あの口調とこの言葉で引き裂かれたら耐えられそうにない。
ところが、古美門は、夜遊びする留美子が、彼女側に有利な証言をしたマネージャーを侮辱する姿を盗撮し、次の審問で暴露する。
当然マネージャ―は証言を撤回し、留美子自身も保護者として適格なのか、怪しい雲域になってくる。
父親の大嫌いな、卑劣な行為で卑屈な人間性を暴き出す古美門のやり口に、愕然とする清蔵。時代が変わると、戦い方も変わる
ということなのだろうか。確かに古美門は、清蔵とは相容れない範疇の人間になってしまったらしい。


そんな折、留美子が手首を切る。動揺しつつも頑なに見舞いに行こうとしないメイを見て何かを悟る古美門。
最終審問。古美門陣営は、留美子が過去に二度、メイの芸能生活が危機に陥った時、自傷行為をしていた事実を明かす。
メイの成功は留美子の成功。メイの苦悩も留美子の苦悩。これは一心同体という比喩表現を超えた危険な領域。
留美子は病んでいたのだ。そして、中毒で倒れるまで飲酒するのも、一種の自傷行為。メイもまた病んでいる・・・。
この親子は、深刻な「依存症」だったのだ。
「親子の絆は深くて強い。共に手を取り、互いに更生する道を探るべき。」と主張する清蔵に「深くて強い絆だから困難なのだ。
互いの依存関係を断ち切らなければ治療も更生も図れない。」と反論する古美門。
メイは訴える。「母には私を忘れて自分の人生を歩んでほしい。でもいつか又一緒に暮らしたい。私の母親は宇宙に一人だけだから」
自分の存在が母を不幸にすることを、メイは悟っていたのだ。そういえば、初めて古美門と会った時から、和解を勧められても
「もうそんな段階ではない」とメイは言っていた。彼女はずっと覚悟していたのだ。母親を救う為に離れなくてはならないことを。
留美子は、そんなメイの心の叫びに、何も言い返せない。姑息な手段を使わず、正攻法で勝負をかけた古美門のやり方が勝ったのだ。


親が親らしく、子供が子供らしくあった時代は、変わってしまったのかもしれない。社会や価値観が多様化し、親子間の問題も
複雑化している。親と子が一緒に暮らすのは、当たり前で最善の幸せの形だ。でも、愛していても、一緒にはいられない親子もいる。
互いを生かすために、離れなくてはならない親子も、確実に存在している。でも、互いの幸せを考えた結果であるなら、
どんな形であっても、それは正しい親子の関係となるのではないかと思う。
そして、黛の言う通り、時代は変わっても、親子の縁を切ることは、どんな法律にも出来ない。想いあっていれば親子なのだ。


スカイツリーを見た。でも、東京タワーの方がはるかに大きかった。」と言い去っていく清蔵。古美門がどんな化け物になろうと、
自分だけは彼にとって偉大な存在であり続けると宣言しているような気がした。
そして、今回のサプライズは服部さん!服部さんは、なんと清蔵によって古美門の下にやってきたのだ。
時期的に考えると、三木の言う「悲劇」の辺りか? 苦しむ息子を思い、頼りになる男を極秘裏に送りこんだ。
「親が子にプレゼントをした瞬間、その人はサンタクロースなる」というのなら、清蔵もサンタクロースだったのだ。
幼いあの日、「サンタクロースとは、誰かが誰かを思う心そのもの」だということを、清蔵は古美門に教えたかったのかもしれない。
でも、サンタクロースの定義を、黛のように、古美門に教え諭してあげていたら、この親子の関係性や古美門の性格も変わって
いたのではないかと思う。でも、それが出来ないのが清蔵なのだろう。息子を思っていても、言葉や態度で表すことが出来ない。
厳しくすることしか知らないのだ。だから、一緒にはいられない。それでも、やっぱり親子なのだ。
正攻法で勝利した息子の仕事を喜ぶ姿に、昔気質の不器用な父親の愛情を感じた。(クーラン)