「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」総評

フジテレビノイタミナ枠の「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」鑑賞終了。<あらすじ>「めんま(CV:茅野愛衣)」のお願いは昔、皆で設計した花火を打ち上げることだと推測した「超平和バスターズ」の
5人は、反対する「めんま」の両親を説得し、ようやく花火を打ち上げる。しかし、花火を上げても「めんま」は消えない。
成仏しなかったのだ。その事実に5人は呆然とする。


うう〜。良かった〜!! 最初の方淡々と見ていられたんだけど、途中から物凄い感情移入してしまった。
実は、4話辺りまでは「なんでこの子達は、こんなに過去に固執していられるんだろう」という違和感みたいなものを抱いていた。
めんま」が死んで10年(?)。小学校・中学・高校とステージは変わり、世界は広がっている。でも「超平和バスターズ」達の心は、
未だに幼い頃の初恋と後悔に縛られている。互いに交流は無くなっているのに、其々の心の時間は「あの頃」から進んでいない。
そのうち、時間を進めるのを怖れているようにも見えてきた。自ら女装して自分だけの「めんま」を作り上げる「ゆきあつ
(CV:櫻井孝宏)」の想いなんて、その最たるものだろう。他の「超平和バスターズ」達がそれを見てもたいして引かなかったのは、
大なり小なり彼らも同じことをしていたからだと思う。
もう一つ思ったのは、どうして「めんま」は「ママ」ではなくて、「じんたん(CV:入野自由)」の前に現れたのかということ。
普通に考えて、今でも「めんま」を誰よりも切実に思っているのは、彼女のママだろう。
なのに、どうして「じんたん」には「めんま」が見えて、ママには見えないのだろうか?


めんま」のママが再登場した辺りからグッと掴まれた。
実は、「めんま」のママは娘の死を受け入れられず、ずっと引きこもっていたのだ。その一方で、成長していく「超平和バスターズ」に、
理不尽な憎しみを抱く。「めんま」のパパもずっと苦しくて、だからそんなママを見ていられなかった。
そんな二人の視界に弟の慧(CV:水原薫)」は入らず、慧もずっと寂しくて、辛くて、家族に疲れてしまっていたのだ。
5人がいかに過去のトラウマに苦しもうが、年相応には成長していく。彼らより、更に止まった時間に生きている「めんま」のママに
とっては、それすら苦しくて仕方がない。
「突然でちゃんとお別れ出来なかった」「さよならしたくない」。その気持ちが凝り固まって、いつの間にか、誰かを憎むことで、
その日を生きるようになってしまっている。そう思うと見ていて辛かった。そして、これは「あの頃」に縛られたままの
超平和バスターズ」にだって起こりうることなのかもしれないのだ。


それでも、5人の心は、なかなか前へと進めない。「めんま」を成仏させるための花火は、初恋を各々胸の内で勝手に清算するための
ものへと変わり、打ち上げには成功したが「めんま」は成仏しなかった。
やがて明かされる彼らのトラウマ。幼い初恋のいざこざはともかく、個人的には「ぽっぽ(CV:近藤孝行)」のトラウマが衝撃だった。
彼は「めんま」が川に流されていくところを目撃していたのだ。そして見ているだけでどうすることも出来なかった・・・。
「ぽっぽ」については、前々から不思議に思っていた。彼は中学卒業後、進学せずに世界各国を旅していたが、ふらりと帰ってきて
超平和バスターズ」の秘密基地に住んでいる。5人の中では一番自分の物差しで生きている子という感じがしていたので、
彼がどうして「超平和バスターズ」に拘るのかイマイチピンとこなかったが、これでようやく分かった。
彼もまた逃げ出したくて世界を放浪していたのだ。でも、どうしても帰ってきてしまう。あの時何も出来なかった自分を
めんま」は恨んでいるから。だから成仏させないと「めんま」は許してくれないと、ずっと苦しんでいたのだ。
全体を通して「ぽっぽ」の書き込みが甘いのが非常に残念だが、彼のトラウマは「あの頃」から時を進められない5人の
苦しみを象徴するものだと思う。


結論から言えば、「めんま」のお願いは、「じんたんを泣かせること」だった。
病気だった「じんたん」のお母さん。本当は寂しいのに我慢して泣かない「じんたん」を遺して逝かなければならないのは、
とても心残りだったと思う。だから「めんま」は約束したのだ「じんたん」を泣かせると。でも、その「めんま」も不慮の事故で
亡くなってしまった。
考えてみれば、「じんたん」は、ほんの小さなときにお母さんと初恋の女の子を亡くしているわけで、これは結構深刻なことでは
ないかと今更ながら気付いた。しかも今まで泣かなかったんだよね。そりゃ、父ちゃんもいるけど、あのソフト〜な父ちゃんでは
泣き喚いたり出来なかったのかなあ。子供ながら辛いのに気を張って頑張ったのだろう。でも、泣かない代わりに気が抜けて
しまったのだと思う。気力が湧かないというか、精気が抜けたとでも言うのか。それでも、高校受験でなんとか立て直そうと
したのかもしれない。しかし結果は失敗。本人の甘えで引きこもっていたのは事実だけど、頑張ろうとしても力が出なかった
「じんたん」の心境がようやく分かったような気がする。父ちゃんもそれが分かっていたから、ずっと辛抱強く見守っていたの
かもしれない。


めんま」のお願いは叶えられ、お別れの時が来る。
彼女のお願いは「じんたんを泣かせること」だったけど、本当は「もっとずっとみんなと一緒にいたかった」というのが一番の
願いだったんじゃないかと思う。
でも、それは絶対に叶えられることはない。その代わりに、「めんま」はみんなとさよならするために帰ってきたのだろう。
みんなに大好きと伝える為に、めんまとみんな「超平和バスターズ」の時間を動かすために、帰ってきた。
「お姉ちゃんは死んでしまったことに気付いてないかもしれない」と言うママにとって、「めんま」はずっと子供のまま。
でも、めんまは「超平和バスターズ」のみんなと一緒に大人になりたかったのかもしれない。彼女にとってのそれは「成仏」と
言うことになってしまうのだけど、それでも止まった時間に留まるつもりはなかった。最後にみんなに大好きと伝えて大好きと返されて、
あの時6人は同じ気持ちで確かに存在していた。だから最後、「超平和バスターズ」達に「めんま」が見えたのかもしれない。
かくれんぼの「もういいよ」は、「もう苦しまなくてもいいよ」だと思う。だとしたら、「めんま、みーつけた!」は本当の
めんま」をみつけた。ということなのかな。各々が罪悪感から作りだした「めんま」ではなくて、「みんなが好きだから」
と見守ってくれていた「めんま」の優しい心にようやく気付けた。ということなのかなと思う。
でも、そうはいいながらも、「じんたん」には「お嫁さんになりたい。そういう好きです」と伝えて初恋を成就させて逝くあたりは、
意外に「めんま」は大人だったのかもしれない(笑)。


全体的には、物語の初めから「深い喪失」が存在しているのだけど、死の匂いは感じず、切ないけれども瑞々しい、希望のある別れが
描かれていて、最後まで引き込まれた。小道具等をうまく使って伏線を張る岡田麿里さんの脚本はさすが。
秩父が舞台だったけど、周囲を山々に囲まれたのどかな町の風景は、いつでも外へ出ていけるのに出ていけない、前へ進みたいのに
進めない。彼らの閉塞感を代弁する空気が漂っていて、揺れ動く彼らの心を感じるのに一役買っていたと思う。個人的には、
大分大人なので彼らの心情にピンとこない部分もあったけど、とてつもない余韻を残す作品だった。丁寧な演出を堪能致しました。


一方で、「これはアニメーションでなければならないのか」とふと疑問にも思ってしまった。あれだけしっかりロケハンして、
この脚本なら普通に実写で出来るだろう。「もやしもん」実写化したんだから、次回はこれをやったら良いのでは?
(もちろん、私はアニメより実写が格上だとは毛頭考えておりません)
最近不思議に思うんだけど、漫画みたいな実写が増える一方、ドラマみたいなアニメも作られている。
ここまできたら、実写とアニメで演出・脚本を棲み分ける必要等ないのではないかと思う。思わず考えさせられた作品でした。
(クーラン)