確認

金曜日なのでオットは呑み会。私もゆっくり一人酒する。
ということで今日のつまみ

  • 厚揚げと根菜の中華風煮物(昨日の残り)
  • きんぴらごぼう
  • ふんわりフルーツロールケーキ(デザート) 泡盛「南風」できめる


最近どこに行ってもロールケーキを見かける。
フルーツ入りはもちろんおいしいに決まっている。


「JOKER ジョーカー許されざる捜査官」初回鑑賞。
堺雅人氏の連ドラ初主演作ということで期待度大で臨んだが、どうにも乗り切れなかった。
以下、超個人的感想なのでスルーでお願いします。
初回は「つかみ」であるはずなのに、ご都合主義というか偶然が多くて興ざめしてしまった。
殺人犯は昔自分を苛めていた男が子供に絡む現場に偶然遭遇し、子供を殺して罪を被せる。
子供とモメてる男は皆が目撃しているのに、立ち去る犯人は偶然誰の眼にも留まらず。
ところが、殺害現場の隣室で伊達が担当する事件の男女が偶然密会していて証拠Get。
しかし犯人は偶然にも警察幹部の息子で無罪放免。
伊達が殺人犯の最後の現場に駆けつけたのも、イケ鑑・久遠(錦戸亮) の名推理を偶然耳にしたから。
って「偶然」多すぎ。それが無ければ伊達は間に合わなかったではないか?


あと、私には伊達の成敗がどうにも腑に落ちなかった。
伊達は昼は温厚な刑事、夜は法の目を逃れる凶悪犯に正義の鉄鑓を下す制裁者という
2つの顔を持つ男。彼が自らの罪の重さについてどの程度まで自覚しているのか、
疑問に思ってしまった。
例え殺したいほど憎い相手でも、人間が人間を殺すようなことがあってはならない。普通ならば。
しかし、伊達は遺族の無念を思い代わりに自らが手を汚して警察では裁けない悪を裁く。
一見崇高に見えるが、それが犯罪者に罰を与える制裁者(正義)の側にいるようで
そこに共感できなかった。
似たような話でも、例えば「必殺」は、金をもらうことで自らを人でなしと同等の外道に貶めたうえで、
人様に代わって恨みを晴らしている。「仕事」は決して正義ではないと自覚している。


その点で言うと、制裁者の側に立つ伊達は傲慢じゃないかな。
井筒課長(鹿賀丈史)と倫理を問う会話を一応はしていたが、それすらも伊達の成敗を
正当化する方向にもっていっているような気がして乗り切れなかった。
伊達は許されちゃいけないと思う。少なくとも初回の段階では。
伊達の過去、犯人の異常性、遺族の慟哭(及び一連のドギツイ描写)が、伊達の成敗を
正当化するためのものであってはならないし、伊達が遺族に感謝されるのも違うと思う。
彼自身が境界を超えた危険な人物であることを書き込まなければ、彼が背負っているものの
重さが伝わってこないと思う。この部分をきちんと描かなければ「ダークヒーロー」は成立しない。
別にスカッとした活劇としてこのドラマを扱うならそれ仕様で作るべきだし、
人間の底を描きたいのならそのように作るべきだ。どっちつかずが一番罪が重いと感じました。
(クーラン)