Mother 第三回感想

先日「Mother」第三回を見たので、今更ながら感想を。
〈あらすじ〉生活費に困窮した奈緒松雪泰子)は母・籐子(とうこ・高畑淳子)に会い、援助を依頼する。
その頃、玩具屋で奈緒を待っていた継美(芦田愛菜)は居合わせた中年女性・葉菜(田中裕子)と
知り合う。


前回は「桃子」という人物を出すことによって、いわゆる「無償の愛」のひとつの側面を描いていた。
他人から向けられる温かな思いを奈緒が素直に受け取ることが出来たことは、奈緒と継美(怜南)の
関係にも何らかの変化を与えたんじゃないかと思う。
まだ擬似親子を結成したばかりなので、親子というより「ごっこの延長」というか、ちょっと
こそばゆい感じは確かにする。でも、仕事探しに奔走し働く奈緒は初めて必死になっているのだと思う。
自分以外の存在、むしろ自分自身にだってこんなに必死になったことは無かったのではないか。
そしてそれは全て「継美とのこれから」の為なのだ。
この気持ちが母性なのか過去の自分への代償行為なのか。考える余裕も無いし日々のことで
精一杯だろうが、例え少し先でも未来に向かって生きている奈緒を初めて見た気がする。
でも頑張りすぎて肝心の継美の風邪には気付けない。
子育ての経験値の低さが現れてしまうエピソードへと続くのも巧い。
そして、「娘」を得たことが、遠い存在となっていた家族の輪に奈緒を引き戻してしまうというのが、
なんとも皮肉な展開だと思った。


奈緒に愛情を注ぐ他人、そして家族として養母の籐子が描かれる。
奈緒があまり苦手にしているから実子と差別でもしていたのかとも思ったが、そんなことは無さそうだ。
久しぶりに会った奈緒を思わず抱きしめる藤子。冷静に考えれば三十過ぎた娘にそんな真似をする
親なんていない(少なくとも日本には)。でも、藤子にとっての奈緒はいまだにギュッと抱きしめて
確認しなければ不安になる。そんな存在なのだろう。
人目も憚らず娘を抱きしめる姿に奈緒への強い愛情と哀しみを感じる。
こんなに愛されているのに、どうして奈緒はその気持ちを受け取ることが出来ないのだろうか。


妹達が会いに来て鈴原シスターズが揃い踏みしたのはなかなか面白かった(笑)。
奈緒VS芽衣酒井若菜)の挨拶代わりの毒舌の応酬に爆笑。
果歩(倉科カナ)にしても姉を心配して北海道を探し歩いていたわけだし、
奈緒がどんなに遠ざけようとも、鈴原家の人々にとって彼女は間違いなく家族の一員なのだ。
でもこの展開で、逆に「血のつながり」について改めて考えてしまった。
果歩は姪だと紹介された継美を疑いもせず可愛がる。
そこに、「肉親」という情報に対して条件反射で感じる親しみや愛情。
精神的距離の絶対的な近さを感じる。それはもちろん親子の関係にも現れるはずだ。
芽衣や果歩を見ていると母親の愛情を疑ったことなど欠片も無いと思う。
注がれる愛情を当たり前のものとして受け取る妹達を奈緒はどんな思いで見つめていたのだろうか。
実の母にも捨てられた子供が、他人の家に家族として紛れ込んでいる。
いたたまれない気持ちがずっと拭えなかったのではないか。
また捨てられるかもしれないという恐怖から心を麻痺させる。
その為にも奈緒は、与えられる理由の無い愛情を受け取るわけにはいかなかったのかもしれない。


後半、奈緒は大きなトラウマとなった「母に捨てられた日の思い出」を、そうとは知らず実母の
葉菜に語りだす。これをご都合主義ととるか、ドラマの旨みとしてとるかは意見が分かれるところだろう
が、私はもちろん後者(笑)。そしてこの告白には、あの鬼のような長さが必要だったのだと思う。
奈緒の苦しみが描かれると同時に、葉菜が奈緒に容赦なく罰っせられる場面でもあるからだ。
「誕生日が分からないというのは生きている実感が湧かない」
「あの日心を殺して生きていくことを決めたのだと思う」
淡々と語られる奈緒の壮絶な言葉は全て葉菜の心を抉っていたことだろう。
そして最後に語った「子供は、殺されそうになっても捨てられても親を愛している。
そんな子供の愛を裏切った人に会いたいとは思わない」という言葉は葉菜を打ちのめしたと思う。
でも耳を塞ぐ事は許されないのだ。一字一句全てを受け止める葉菜の表情はまるで死刑台に向かう
囚人のような顔で、田中裕子の演技に鳥肌がたった。
そして、奈緒にこれほどの苦しみを与えたのがこんなに小さく弱々しい女の人なのだと思うと、
人間の底知れない恐ろしさみたいなものも感じる。
「笑ったらそれが(母が行ってしまう)合図だった」
心から笑った最後の記憶が一番悲しい出来事と直結している人生なんて想像できない。
そう考えると、人との関わりを拒絶し家族すら遠ざけていた奈緒の生き方の理由が分かってくる。
すれ違う人に母の手を思い浮かべるけれど会いたくはない。という矛盾した奈緒の言葉に
実母への愛憎も透けてみえる。


でも、奈緒の最後の言葉は自分にも跳ね返ってくるものだと思う。
継美だって殺されかけても実母を愛している。それを知りながら奈緒は継美に母を捨てさせた。
継美の心を踏みにじった母親には会わせないと思いながら。
エゴもあると思う。奈緒は継美の母親になることで自分の存在意義を見出し始めているのだから。
でも、継美の苦しさについてどうしても考えてしまうのだ。
たぶん仁美(尾野真千子)が書いてくれたであろう色鉛筆の名前を削らなくてはならない苦しさ。
親が付けてくれた名前を名乗れない苦しさ。一生周りに嘘をつき続けなくてはならない苦しさ。
生きるためとはいえ、それはどんなに継美を苦しめているのかと考えてしまう。


そんな怜南(継美)の母親・仁美は恋人の家で呑んだくれている。
仁美が一番心配しているのは虐待がばれることだろうが、この人は今初めて自分の醜い部分を
直視させられているのだと思う。これまでどんなに虐待をしても怜南がいつも笑って
受け止めていたから、仁美は自分のしていることについて深く考えなくても良かった。
それが怜南がいなくなり初めて自分の中にあるドス黒い部分を見つめなければならなくなったのだ。
皮肉な話だが、そういう意味では怜南は間違いなく仁美の一部だったのだと思う。
それを失った喪失感も仁美は味わっているのではないか。
結局、奈緒も仁美もこの小さな子供に甘えているように思えてならない。
奈緒は継美を愛することで甘え、仁美は怜南を愛さないことで甘えている。


葉菜VS藤子のシーンにも哀しみを感じた。奈緒と会っていた葉菜に思わず手をあげそうになるが、
振り上げた拳を下ろす藤子。
理性が勝ったのもあるけど、藤子には奈緒を産んだ人を殴ることが出来なかったのでは。
自分も母親なら、産んだ娘に会えない辛さは分かるはず。
それでも許すことが出来ないのは、どんなに娘を愛しても、奈緒の中では顔も覚えていない実母が
大きな存在を占めていることが分かっているからだ。
この藤子と奈緒の関係は、奈緒と継美の相似形でもあるはず。
ならばいずれ奈緒も同じ類の苦しみを味わうことになるはずなのだ


葉菜が新聞で継美の正体に感づく展開も面白かった。まさか「水色」がこんな形で返ってくるとは・・・。
様々な人の感情が絡み合う先に何が見えてくるのか。次回はどうなるのか。(クーラン)