アイシテル〜海容〜 第九回感想

周回遅れてしまったが、「アイシテル〜海容〜」第九回の感想を。

〈あらすじ〉審判で読み上げられた聖子(板谷由夏)からの智也(嘉数一星)宛ての手紙の内容は
「清貴(佐藤詩音)の分まで生きて、自分の犯した罪の重さを知ってほしい」というものだった。
さつき(稲森いずみ)はその言葉を重く受け止め、親として一生をかけて智也を更正させる決意をする。
そして、智也は自立支援センターへ送られることが決まり、新たな生活が始まることとなる。


う〜ん。重い。非常に見応えのある回だった。今回、感じたのは「未来」という言葉の重みについて。


審判で読み上げられた聖子の手紙について、どう思うかを問われて「わかりません」と答える智也。
自分は死刑になると思っているのに、手紙で聖子に「生きろ」と語られて戸惑う。
翌日、自立支援センターへ送られる智也を見送るさつきや和彦の顔を見ることが出来ない。
「未来」を考えられなかった智也が、初めてこれからの人生について考えた時、どうなるのか想像も
つかずとても不安だったのだと思う。しかし、さつきに抱きしめられて心を開きかける。
不安でも「お母さん」は見守ってくれると信じられたのだ。
遠ざかるさつきの姿に思わず涙を流す智也を見て、ようやく彼の子供らしい姿を見ることが出来たと
思った。俯く智也を「しっかり前を向いて!」と送り出す富田の姿も心に染みる。
「新しいスタートラインに立ったけれど、これからも険しい道のりが待っている」と言う富田に
「私達が必ず智也を導いていく」と誓うさつき。子育ての不安を抱えていた頃とは別人のような
強さを感じた。


一方小沢家では、聖子が加害者少年宛てに手紙を書いたことを秀昭(佐野史郎)、美帆子(川島海荷
に打ちあけ、秀昭は激怒。
う〜ん。聖子の手紙を読んでホント思うんだけど、この人はもう「許す、許さない」の次元には
いないような気がするんですよね。なら、許せるかと問われたら絶対許せないだろう。
けれどこの人は、智也がこの先、生きていくことまで否定してはいないんですよ。
そして、それは「許したこと」と同じだと考える人もいる。
でも「愛する人との子供を儲けた時、あなたは初めて自分がしたことの意味がわかるでしょう」
という言葉はとても重いもので、「罪の重さを受け止め、尚、生き続けて」という願いは、
ある意味残酷でもあり、慈悲深くもある。
相反する感情を抱えながら、聖子はどれだけ苦しんでこの手紙を書いたのだろう。と思うと胸が痛む。


家裁を訪れ審判の記録を読んだ秀昭は、「犯人がもっと嫌な奴なら良かった。調書を読むほど、
家と変わらない普通の家庭で、怒りをどこにぶつけていいかわからない。
妻は犯人の母の気持ちがわかるというが、自分はそんな妻の気持ちをわかりたくない」と富田に語る。
「家族を一つにするには、事件を忘れるか、犯人を憎むしかない」という秀昭に、富田は
「奥様の目的も同じこと。悲しい事件を乗り越える手立てとして少年に手紙を書いたのでは」と語る。
そう、秀昭は犯人をこれ以上憎みたくないから、事件を忘れようとしていたのだ。
秀昭は決して間違ってはいないと思う。
ただ「憎む」ことも「忘れる」ことも、未来には繫がらないということなのかもしれない。
加害者家族は審判を「区切り」としてスタートラインに立てた。
しかし、被害者家族の「区切り」はどうつければいいのか。
いつか「事件を受け止めることでしか前へ進めことは出来ない」と言った聖子の言葉を思い出す。
聖子は、それが必ず家族の未来へ繫がることだと信じて、苦しみながら手紙を書いたのだ。


一方、さつきのもとには、警察から智也の押収物が返還される。
アルバムを整理し白の頁を眺めて「これからももっと増やしたい」と願うさつきに
「出来るさ。大人になった智也とお爺ちゃんお婆ちゃんになった俺達とで」と答える和彦(山本太郎)。
ささやかな未来を語る二人だが、それすら奪われた家族がいると思うと何ともいえない気持ちになる。
けれど、さつき達の未来は決して幸せだけではないのだ。死ぬまで背負っていかなくてはならないもの
がある。それでも「未来」を思うことが自分に出来るだろうかと考えてしまった。
しかし、それでも二人は智也と生きていきたいと願う。二人にとっては智也自身が希望でもあるし、
語るべき「未来」なのだ。だから、例えそれが辛いものだとしても「未来」を語ることが出来るのだと
感じられた。


同じ頃、小沢家でも同じような会話をしているのが巧い脚本だと思った。
美帆子が獣医になりたいう希望を語り、両親もいつの間にか大人になっていく彼女を優しく見つめる。
しかし、聖子や秀昭がどんなに年をとっても、キヨタンは7歳のまま・・・。
その事実を感慨深く受け止める二人。
「痛み」を伴う未来もあれば「喪失」を抱えた未来もある。
でも決してそれを不幸なものだと決めつけてはいけないのだと強く思わされた。


ラストでさつきに出した聖子の手紙にはとても感情を揺さぶられた。
なにより、さつきに共感を抱く聖子の心情にようやく近づけたような気がした。
母親として家庭に子育てに自分の全てを捧げながら、たった一度のミスで全てを失う。
聖子にとっては「ランチに出かけた空白の十五分」で、さつきにとっては、「鐘突き婆さんの事件」。
完璧な母親ならば、相手を責めることが出来ただろう。
しかし二人とも、子供を想い、自分の時間を費やし、しかしふとしたことで子供を見失った母親同士
だったのだ。聖子がさつきを責めることは、自分自身を責めるのと同じことなのだ。
真の部分で理解しあえる相手が、加害者被害者の母親同士というのは、あまりにも皮肉だし、
今後の関係はどうなるのだろうかと思わされる。


次回はいよいよ最終回!彼らにどんな未来が・・・。 (クーラン)