まとめて感想。

今日「ケータイ捜査官7」最終回なんだけど、考えてみれば、もうかなり感想を書いてない。
こんなにお世話になったのに書かないのは申し訳ないし、やっぱり気になる。
なので、続き全話じゃないけど、個人的忘備録としての感想を。
知らない方は全力でスルーして下さい(笑)。

  • 第28話 「ケータイが生まれた日」

今、改めて見ると伊達(渡辺いっけい)が哀しく思えてくる。
人間とAIがつくる未来の理想に燃えていた宗田(益岡徹)、水戸(ミッキー・カーチス)、
伊達の姿は輝いていたのに・・・。しかし、科学者って子供みたいだよね。

  • 第29話 「発進!ソリッド」

個人的には、こういう形で犯罪が起こりうるというか、既に近い形態の犯罪は発生しているよなあと
思った。しかし、白カラス?の大沢樹生氏はローラースケートで走ってるだけで、いいとこなし。
少し気の毒だったような。

  • 第31話 「ゼロワン、走る」

千草(伊藤裕子)がゼロワンに抱き続ける憎しみと向き合う話。
セカンドを殺された千草には到底ゼロワンを許すこと等出来ない。
それを知りながら、かつては裏切ったアンダーアンカーやケイタの為に危険な橋を渡るゼロワン。
ラスト。千草はゼロワンを許すことは出来ないだろうが信じられるようになったのだろうか。
多田(本宮泰風)は結構怖い感じで登場したのに、最後はヤワでしたね。
「運がよければ、もう一回位やれる」のセリフは、パトレイバーを思い出したぞ(笑)。

  • 第32話 「宇宙ウィルス」

や、スケールの大きな話で30分ではもったいないですよ。宇宙ウイルスの理論はとても面白かった。
これのモトネタはなんだろう。
    ↑
(おそらくイギリスITC製作のTVシリーズ「スペース1999」の一挿話「宇宙冷凍人間の正体」)


ここでもゼロワン大活躍。
この地球規模的作戦にケイタ(窪田正孝)とセブンは関われなかった。
しかし、目の前で怪我をした女の子を助けることが出来て「これでいいのだ」と笑うケイタ。
主人公にこんなセリフを吐かせるところが本作の凄み。ったく憎いゼ!

  • 第34話 「ねらわれたサード」

「ケータイ〜」なのに大人のムード漂う回?(笑) この回のキモはフランスのエージェント、
セシルの自動翻訳機を通した声が、安藤麻吹姐さんだというところでしょう。
「圏外の女」に続いてのご出演〜。ていうか、あんな感情入った自動翻訳機ございませんて(爆)!
いっそのこと監督は、神山健治氏がやれば良かったのに?

  • 第35話 「ケイタのはつゆめ」

前回で大笑い?していたら、この回の脚本はなんと「押井守」。
まさかもう一本書き下ろしていたとは・・・。「ケータイ〜」のこと意外に気に入ってる?
さすがと言うかお馴染みのホン。お馴染みの千葉繁の怪演(爆)。
多くは言いません。パトレイバーですね(笑)。

  • 第36話 「ともだち」 第37話 「ケイタとタツロー」

ケイタの親友として第一話から存在しながらこれまで名前だけの出演だったタツロー(佐野和真)が
満を辞して登場。
この連作は本当に素晴らしかった。友情というか友達との関係性の変化。
互いに何も変わらないつもりでも、環境や起こった物事等で、良かれ悪しかれどうしても
人は変わっていってしまいます。
前は一緒にバカやってた友達としばらくぶりに会ったら何かを抱えている。
突然大人びたケイタに「置いていかれた寂しさ」を「裏切り」という言葉でぶつけるタツロー。
でも、本当はタツローも分かってたんだと思う。
友達だからっていつまでも一緒にいられるわけではないし、話せないことだって出来てくる。
でもどんなに変わっても、根っこの部分が変わらなければ、その関係性に変化があったとしても、
たとえ会えなくても、それはずっと「ともだち」なんだと思いますよ。
「変わっていくもの」「変わらないもの」について、色々と考えさせられました。
この回の脚本に頼らず、役者の演技で語らせる演出にも非常に好感を持ちました。

  • 第38話 「誰かが見ていた」

"キカイくん"こと森下(森田直幸)の受難の回。
しかし、街中の監視カメラから特定の個人を追跡する"ネットワークカメラ個別認識追跡システム"って、
近い将来、実現しそうで怖い。まさに監視社会の恐怖!!
 ↑
同工異句のスティーブン・スピルバーグ製作の「イーグル・アイ」より断然面白い

 
ふかわりょうに水戸が放った「こっちの方がかっこいいんだもん」の言葉に激しく同意。
メカはかっちょよくなくちゃね!

  • 第40話 「桐原とサード」

桐原(松田悟志)の過去が明かされる回。
13年前、インターネット上で何者かがハンドルネーム“アカツキ”と名乗り、一家惨殺事件を
引き起こした。当時の警察は犯人を特定できず、いまだに事件は未解決のまま…。
この事件の被害者家族のうち唯一生き残った生存者が桐原で、彼は犯人を捕まえるためにアンダー
アンカーに入ったのだ。そしてついに本物の“アカツキ”と対峙した桐原の眼には憎悪の炎が――。
非常に重い話でしたね。アカツキを殺すまで殴り続けようとする桐原を、身を挺して止めるサード。
ケイタ&セブンとは違った形の二人の絆が見える回だった。
けれど、桐原の気持ちが晴れたわけではない。犯罪被害者、もしくは遺族のズタズタにされた心は、
例え加害者を殺したとしても、決して救われることはないのだ。
そういう意味では、「どう見てもヤツの勝ちだ」という桐原の言葉は正しいと思う。
一生癒えない傷を抱えながら、「過去に負けない人生」をどうにか生きるしかないのだろう。
こんな残酷な仕打ちを、人が人に対して行っていいはずがない。

  • 第41話 「セブンの見る夢」

ケイタがふと放った「そのうち一人でプログラム制圧も出来るようになるかもな」という言葉で、
自分の存在意義が分からなくなるセブン。そして滝本(津田寛治)を思い出した時の寂しさ。
更には拉致され見続ける夢(擬似記憶)の中で現れたセカンドに「人間になりたいのでしょう?」と
問われる。自分は何の為に生まれたのか?ゼロワンが考え続け、そしてセブンにはなかった自我が
ついに芽生え始める。自分でも理解しがたい思いに囚われ、いつになく心細けなセブンが痛ましい。
機械でありながら、人間と接することにより進化する(つまりは心をもつ)宿命を背負う
フォンブレイバーの苦しみが、ゼロワンとは違った形で描かれている。
慟哭や絶望ではなく、胸に巣くった小さなわだかまりから、自我という、ひたすら考えても答えの
出ない根源的な命題に行き着く。これは新たなアプローチの仕方ではないかと思えた。

  • 第42話 「目覚める遺伝子」

間明(高野八誠)が社長を務めるフラネット社が、人工知能により持ち主の思考や行動を学び、会話し、
成長していく“量産型フォンブレイバー ジーン”を販売。その意味するところが明らかになる。
情報や犯罪が氾濫するネット社会を監視するというのがその目的らしいが、間明の真意は
見えてこない。そもそも、いわゆる「人工生命」の存在を人間が受入れられるのか?
それに、大量のジーンが自我を持ち「並列分散リンク」をする危険性をも孕んでいるのだ。
ネット社会についての宗田の科学者としての理想論(性善説)、桐原の犯罪被害者としての規制論
(性悪説)等、人間の可能性と限界の理論が様々な形で語られ見応えがあった。
そしてついに「アンカーにいる真の敵」が登場・・・。

  • 第43話 「真の敵」

セブンは夢を見るまでに進化。それはつまり「無意識」が存在するということだ。
しかし、セブン自身がそんな自分の変化に戸惑う。ロボットやツールとして自己を認識していたのが、
「心」を感じることで、自分の存在が何なのか分からなくなっているのだ。
けれど、そんなセブンの変化にともに寄り添ってきたケイタにとっては、ブレイバーが「心」を持つ
事実は自然の流れ。自己の自我に苦悩するセブンを心配してケイタが詰め寄る。
「自分は機械でありながら、人間になりたがっているのだろうか・・・」と問うセブンに
「機械だろうが人間だろうがどっちでもいい。俺は俺。お前はセブン。お前はサード。
それでいいじゃん。 」と明快に答えるケイタ。
進化の過程も含め「個」としてのセブンの存在そのものを丸々肯定するケイタは、
本当に柔軟な感性の子だと思う。
「自分は何なのか?と考えることは成長する為に必要なことなんだ」とバディに言われて、
セブンがどんなに安心したことか。
しかし、この関係は一朝一夕で出来上がったものではない。
滝本から始まりケイタとセブンが数多くのコミュニケーションを交わした末、出来上がった揺るぎない
絆なのだ。進化とはこういうことを言うんじゃないかなと思った。

  • 第44話 「ゼロワンの解」

何も言うことはない。泣いた。大泣きした。
こうなることは薄々分かっていたような気がするが、ゼロワン死す!
この日、ケイタという「バディ」を得て、そして守り通して、ようやく彼は求めていた「生」を実感し
「生まれてきた意味」を理解したのではないだろうか?
彼が一人で立ち向かう戦闘シーンの神々しさは尋常じゃない。
そして最後には、ケイタを心配させまいとついに「ウソ」までつく。
しかし、息絶えたゼロワンの機体をへし折りラムダチップを抜き去る間明。
この行為に残虐性を強く感じるのは、私達が一年間見続けた彼らに確かに「命」が宿っていると
感じるからだ。そのように情熱を込めて作りあげられた作品なのだと改めて思う。


長々と駄文誠に失礼致しました。最終回を控え落ち着きのない大人なのでした。(クーラン)
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