インランド・エンパイア

先日、恵比寿ガーデンシネマにてデビッド・リンチ監督作品「インランド・エンパイア」を観た。


中子真治著「超SF映画*1」で「イレイザーヘッド」を紹介していたのを読み、東映系で
公開された80年代初頭、劇場に足を運んだ*2のがリンチとの出会い。
モノクロ画面の美しさと、乾いたユーモアに惹かれた。
その後も「ワイルド・アット・ハート」の圧倒的なスピード感とバイオレンス、そしてまたしても
抜群のユーモアのセンスに狂喜した。
ニコラス・ケイジは、まだあの頃はそれほどメジャーな役者ではなく、まさか、数年後
ハリウッドメジャーに立続けに主演する役者になるとは想像し得なかった。
ローラ・ダーンも下品だが魅力的に撮られてたな。


…と、私は以前からリンチ作品を観ていて「イレイザーヘッド」のリバイバルやDVDで彼を
知った世代とはキャリアが違うのだよ、ということをほのめかしつつ、本題に入る。


結論から言うと個人的には「インランド…」はリンチ作品中最も芳しくない出来であると思う。
まず画面。
ビデオ撮りによる奥行きの無い、滑らかならざる安っぽい画面。このビデオ映像って映画
観てる気にならない。
さらに手持ちカメラなので構図が安定しない。プライベートフィルムの如き映像に辟易とする。
ローラ・ダーンもトウの立った現状を記録されているだけで、全く魅力的に撮られていない。


そして演出。
会話のシーンで、強烈なアップに、激しいライティングでグロテスクな雰囲気を出してる、
のはいいんだが、その撮り方が何カットも何カットも何カットも永遠に続くワンパターン演出は
いかがなものか。


さらに展開。
映画女優が曰く付きと知らずに出演した作品は、かつて死者が出て未完に終わった映画の
リメイクであり、呪われた映画に主演した女優は、精神のバランスを崩していく…のか、
そもそも映画女優というのも、精神のバランスを崩した女の妄想なのか…。
時系列がバラバラな主人公の精神状態は、ラストシーンから撮影を始めることもある映画の
作りと似ていなくもない。
しかし、そんなスートーリィらしきものの体裁を保っているのも中盤までで、後半は、ひたすら
観念的な(撮ったフィルムをとりあえず繋げただけの、いきあたりばったりな)展開となる。


つまり、かつてのリンチ映画の素晴らしい要素であった美しい映像、妖しげな魅力の女優、
ユーモアに満ちた演出、散らかっているようで辻褄があっている(あたかもパズルを組み合わせ
ていくような)展開…といった要素が、今回は全くみられないのである。
それで3時間の長尺とは!


ああリンチよどこへ行く…。


で、ネット等で色々ホメている人の文章読んでも、どこがよいのか教えてくれない。
「この作品はミュージカルである」って観たまんま言われても…。
少なくとも、私には同じミュージカルなら「東京流れ者」のほうが、楽曲のセンス、曲のかかる
タイミングとも勝ってたように感じたよ。(○)

*1:我々R30世代にとってのSF映画ガイドブックのバイブル!

*2:金のない学生の身分では名画座に落ちるのを待って(今は亡き)五反田東映シネマで観賞。併映はデビッド・クローネンバーグスキャナーズ、ケン・ラッセルのアルダート・ステイツだった。なんという豪華三本立て!