夕飯

ということで今日の夕飯

  • 豆腐入りリゾット(ワカメ・ツナ・しめじ・じゃが芋・アスパラ・人参・玉葱)
  • アボカドのサラダ


前日、食べ過ぎたので、軽めのメニューを心がける(笑)。


★「ヒアアフター」(監督:クリント・イーストウッド 出演:マット・デーモン、セシル・ドゥ・フランス)鑑賞。
〈あらすじ〉ジャーナリストのマリーは、東南アジアで津波に飲み込まれ、呼吸が停止した時に不思議な光景を見る。
サンフランシスコで、かつて霊能力者として働いていたジョージは、今では工場に勤めていた。ロンドンで暮らす少年マーカスは、
突然の交通事故で双児の兄を失う。兄を思うマーカスは、霊能力者を捜すうち、ジョージのWebサイトに行き着く。
一方、マリーは臨死体験を扱った本を書き上げる。やがて異なる3人の人生が交錯する日が来る…。


日本では2011年2月より公開していたが、3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生し、内容に災害を連想させる場面があるという
理由から、それ以降日本での上映が中止となった、いわくつきの作品。
我々も既に前売券を買い、そろそろ観に行こうかと相談していた矢先に震災が起きて観ることは叶わず、チケットもムダに(笑)。
 ← ムダチケ
それを今回、飯田橋ギンレイホールでようやく観ることが出来た(もちろん前売券は使いませんでしたよ・笑)。以下、ネタバレ


ヒアアフター」とは来世を意味するそうだ。こんなタイトルをつけるあたり、ついに解脱の域に達したイーストウッドが、
自らの死生観を説き、スピリチュアルな領域へと踏み出した作品なのか。と観る前はかなり身構えていたのだが、蓋を開けたら
そういった作品ではなかった(笑)。「死んだら、人の魂はどこに行くのか」とか「来世」についての考察がメインではなく、
理不尽な出来事に遭遇したことから、孤独に陥り誰とも分かり合えず苦悩している人達が、ふとしたことで出会い、この世で
生きていく希望の光がほんの少しだけ差し込む。そういう物語だった。
イーストウッド版の「めぐりあえたら」みたいな感じ?男女のロマンスがメインというわけではないので、ちょっと違うかも
しれないけど、3人が巡りあうまでの、各々のエピソードを積み重ね、出会ったところで幕切れという構成は、やはり似ている
のではないかと思う。
被災、肉親との突然の別れ、望まぬ能力の覚醒。状況やタイミングは違っても、各々に起こる出来事は、「理不尽で不条理」
という点で一致している。遭遇した人は、その後どうやって生きていくのか。
個人的には、ジャーナリストのマリーが印象に残った。津波に巻き込まれ、(日本で言う)三途の川を渡りかけたマリーは、
一命を取り留めてから、それまでのリッチでエキサイティングな自分の世界に違和感を覚え始める。
周囲が変わったわけではなく、マリーが変わったのだ。どこがどうというわけではない。薄皮一枚分くらいのかすかな、
それでも絶対に取り去ることの出来ない違和感。その感覚から目を背けず、自らを追い込むが如く、探求していくマリー。
全てを失って涙しても、決して後戻りはしない。求道者のような強さと孤独が漂っていて、胸に沁みた。
霊能力の使用を封印し、普通の幸せを求めて、婚活料理教室に参加するもうまくいかないジョージのホロ苦いエピソードも面白かった。
孤独と悲哀が滲むマッド・デイモンの演技が素晴らしい。ディケンズマニアだったことから、イギリスに傷心のオタク旅行に
行く展開が、悲哀・ユーモア・ロマンスの予感を感じさせて、面白おかしかった。


ひたすら、淡々とエピソードを積み重ねていくイーストウッドの演出も、とても良かった。必要以上に感情を乗せさせず、
サクサクと物語が進むのだけど、気が付くと観る人の心にさざ波のような感動が伝わっている。そんな感じ。
「来世」というよりも、この世の者ではない人達の存在や愛を感じたことで、希望を見出し現世を生きる。という物語だった
のかなと思う。一歩間違えば「大霊界」にもなりそうな話なのに、全くバカバカしさはなく、美しく温かい映画だった。


ただし、冒頭の津波のシーンは、やはり生々しかったので、震災当時公開出来なかったのは、致し方ないと感じた。
もう一つ、地震などの要因が描かれず、唐突に津波がきていたが、津波発生のメカニズムにそっていないのではないか。
日本人として少し違和感を感じてしまった。でも、観れて良かったです。(クーラン)