夕飯

オットが異動して、家を出る時間が早くなったので、弁当作り担当の私も起床時間が早まる。なんとか慣れてきた。
ということで今日の夕飯

  • 鰤の柚子胡椒焼き(空芯菜ラディッシュのおひたし・プチトマト付け合せ)
  • 大豆のトマト煮込み(いんげんブロッコリーの茎・人参・玉葱・ウィンナー)
  • 野菜の山葵炒め(えのきだけ・青梗菜・パプリカ・南瓜・もやし・ハム)
  • ワカメ・長芋・オクラの味噌汁


★映画「メランコリア」鑑賞。
(監督・脚本:ラース・フォン・トリアー 出演:キルスティン・ダンストシャルロット・ゲンズブールキーファー・サザーランド)<あらすじ>マイケルとの結婚を決めたジャスティンは、姉・クレアの豪邸で結婚パーティーを行う。楽しそうに振舞うジャスティ
だが、段々と浮かない顔を見せ始める。やがてパーティーを抜け出したり、奇妙な行動を取り始めるジャスティンにマイケルは、
別れを告げる。その頃、天体異常が起こり、メランコリアという惑星が地球に近付いていた…。


ラース・フォン・トリアーの映画を観るなんて久しぶり。「ヨーロッパ」以来なので、20年ぶりくらいだろうか?
今回、観ようと思った決め手は予告で流れた、超スローモーションの美麗な映像だった。
その映像は、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の旋律が流れる中、冒頭の8分間で全て映し出される。
夢か、現実か、過去か、未来か、判別がつかない。でも、とにかく美しい。確かに物凄い映像美だった。
その後、本編が始まる。ウェディングパーティーに臨む幸せそうな新郎新婦の姿が映しだされるが、この監督お得意の手持ちカメラで
撮っているので、終始画面が揺れていて、不安定な気持ちにさせられる。
それに呼応するかのように、新婦のジャスティンの様子が、徐々に、しかし確実におかしくなっていく。
彼女はおそらくうつ病だと思われる。漠然とした不安に憑りつかれて、気分は落ち込む一方だ。
彼女にとって、この世の全ては鬱陶しくて煩わしい。豪奢なパーティーも、真新しい夫も、皆の祝福も、ただただ疎ましい。
そして、彼女にとって一番恐ろしいのは、この苦しみや不安を、誰とも理解し合えないということなのだと思う。
パーティーが終わる頃には、彼女は全てを失くしていた。夫も、仕事も、友人も、両親も。
ジャスティンの奇行にはイライラさせられるものの、世界に一人とり残されたかのような強い不安に怯えている彼女の心の動きは
なんとなく理解できる。ボロボロになった彼女の姿には、やはり胸が痛んだ。


しかし、そんなジャスティンの恐怖に惹きつけられたかのように、妖星・メランコリアが地球に近づいてくる。
この巨大惑星が衝突したら、間違いなく地球は消滅する。ところが、不思議なことに、その事実を知ってから、ジャスティンの心は
平穏を取り戻していくのだ。これまで、たった一人で苦しんでいた恐怖が、「世界の終り」という形で、全ての人と共有出来るものに
なったからだと思う。「終わり」を宣告されて、ようやくその恐怖を受け入れる事が出来るようになった。受け入れてしまえば、
それは恐怖ではなくなる。ある意味、ジャスティンは解放されたのだ。ジャスティンの心と呼応するかのように、手持ちカメラの画は
ブレが少なくなってきているように感じた。深夜の川岸、妖星とまぐわうかの如く、全裸になってメランコリアの光を浴びる
ジャスティン。うっとりと甘美な微笑みを浮かべる彼女を見て、メランコリアは、彼女にとって大きな救いだったのだと感じた。
平静を取り戻していくジャスティンと反比例して、しっかり者の姉・クレアは恐慌をきたす。
クレアのパニックは一般的な反応だろうし、「世界の終わり」を受け入れられない彼女を、愚かだとは思えない。
クレアとその息子と共に、ジャスティンは「終わり」を迎える。最後まで恐怖に囚われたままだったクレアと、恐怖から
解放されたジャスティン。どちらが良いかは言わずもがなだが、常識人で窮屈に生きてきたクレアのことを考えると、
いたたまれない思いがした。


こういった作品は嫌いではないが、正直、今の自分が観る映画ではなかったのかもしれないと感じた。
本作の登場人物達は、森の中の豪華な屋敷で過ごし、「世間」とは隔絶した状況で、「世界の終り」を迎える。
「世界の終わり」を迎えて、ジャスティンのように平静でいられる人間ばかりではない。下界では、それこそ地獄絵図のような光景も
広がっていたのかもしれないが、そういった醜いものは本作では描かれない(卑怯者はいるが)。描かないのは、必要ないと
監督が考えているからだと思う。けれど、「世界の終り」を描く時、醜いものは本当に必要ないのであろうか?
それを知らずしての解脱?というものに、私はイマイチ納得出来なかった。
正直「セカイ系」みたいな話だと感じたが(すみません)、我が国ではそちら方面の傑作が多々あるので、ハードルは高いのでは
ないかと思う。監督の意図を汲み取ることが出来なかった自分の理解力の無さが残念。(クーラン)