夕飯

翌日は祭日で休みだったが、珍しくオットの呑み会はなし。
ということで、今日の夕飯

  • 煮込みラーメン(ワカメ・シーフードミックス・豚肉・えのきだけ・オクラ・人参・パプリカ・もやし・白菜・長葱)
  • 枝豆
  • ほうれん草のサラダ
  • ポテトサラダ  私は麦焼酎「西の星」できめる。オットは呑まず。


大河ドラマ平清盛」第10回鑑賞。<あらすじ>得子(松雪泰子)は躰仁親王を次の帝にと目論むが、自身の身分の低さが壁に。そこで、子がいない崇徳天皇井浦新)の
養子に据えるべく、中宮の父・忠通(堀部圭亮)に近づき、親王を次期天皇の座に収める。璋子(檀れい)を愛する義清
藤木直人)は、鳥羽上皇三上博史)への怒りを募らせる。雅仁親王松田翔太)が元服するが、雅仁を侮辱した得子に
璋子がつかみ掛かって騒動に。義清は璋子が気掛かりで、堀河局(りょう)の忠告を無視して璋子を待ち伏せする。


義清〜(泣)!! この回は西行誕生と璋子開眼の重要なエピソードだった。
義清と一夜を明かした璋子は、どこかうっとりした表情を浮かべている。誰かに、自分という存在を久しぶりに求められたことが
彼女の心を満たしているようも見える。璋子は義清によって人を愛する喜びを知ったのだろうか。明らかに何かが変わった様子で、
今度は雅仁の出生について侮辱した得子につかみ掛かる。迷える璋子の心を救えるのは自分だけだと義清は確信したと思う。
しかし、それが美しすぎる義清の限界だったのだと感じた。近づこうとする義清を拒絶した璋子は、あるものに目を奪われる。
それはかつて鳥羽院が璋子に捧げた水仙だった。水仙にとりすがる璋子の姿を見て、その心を悟る義清。璋子の心は鳥羽院
あったのだ。皮肉にも、義清と関係したことで、璋子は自分が求めているものが何であるのかを悟ったのだと思う。
これまでは、求められ、与えられるだけで、自ら何かを欲したり、求めることが無い人だった。その彼女が初めて欲したのが、
鳥羽の愛だったのだ。「雅仁の種は白河ではないか」という得子の言葉を、「侮辱」と捉えたのが、その証だと感じる。
以前の璋子なら、「得子は勘違いしている」と受け止め、淡々と訂正するだけだったのではないか。あれほど怒ったのは、
「密通は鳥羽院を裏切り傷つける行為である」ということを、璋子が初めて理解したからだと思う。崇徳以外の子については、
鳥羽を裏切るようなことはしていない。二人の間には要らない子供など一人もいない。璋子は伝えたかったのだと思う。
あれは得子への怒りというよりも、今の璋子が鳥羽院に訴えたい心だったと感じる。


しかし、義清にとって、璋子の心は許せるものではなかった。自分を愛することで、璋子は人を愛する喜びを知るはずだった。
それが、よりによって不幸の元凶である鳥羽院へ向けられているという不条理。怒りで我を忘れた義清は璋子の首を締め上げる。
未遂に終わったが、その様子を嗅ぎつけた藤原頼長山本耕史)が、鳥羽院と璋子の前で義清を詮議する。
しかし、鳥羽院は義清を咎めず、「璋子が誰と何をしようと、今の自分は何も感じない」と言い放つ。
もちろん、璋子を庇ってのことだったと思う。けれど、それだけではないような気もした。愛するが故の己の暴走に愕然としている
義清を見て、鳥羽は、璋子への愛憎で苦しんでいたかつての自分を重ね合わせたのではないか。璋子に傷つけられ、哀しむ
かつての自分を罰することなど鳥羽には出来なかったのだと感じる。と同時に、「そこ」には絶対に戻らない。という鳥羽の
決意の固さも伝わってきた。水仙は、少し離れたところからそっと眺めて、その美しさを愛でる。
「逃げている」と言われようとも、今の鳥羽には、そういう形でしか璋子と関わることが出来ないのだ。
去っていく鳥羽の後姿を哀しげに見つめる璋子。人を愛する喜びを知ると同時に、既にその愛は消え去っていたという苦しみも、
味わうことになってしまった。ようやく開眼したが、それは璋子を幸せにするものではないのかもしれない。


満開の桜の下で遊ぶ娘に花びらを手渡され微笑む義清。ところが、険しい表情へと変わり、突然娘を蹴落とし去っていく。
西行出家時の有名なエピソードだが、私は世俗への未練を断ち切る為の行為だと考えていた。
しかし、「朝廷の乱れの種は、人を愛する心が捻じ曲がり、ドス黒くなった醜い心であり、美しく生きたいと願う自分は、
その醜さにまみれる覚悟がない。」と清盛に言う義清の言葉を聞いて「少し違うのかな」とも思った。
人を愛する心は美しいものだと信じていた義清は、愛することは時に醜い心へ転じるものだということを思い知った。
それは、男女の愛情だけではなく、親子の情愛でも有りうること。愛するが故に、醜くなった心が、また誰かを傷つけるかもしれない。
なにより、そんな醜い者になりたくはない。娘への愛情は、義清を醜い者へと貶める誘いのように思えたのではないだろうか。
だから、世俗の愛から自分の身を切り離したのだと感じる。強烈すぎる美意識の持ち主だからこその決断だが、この世に生きて
関わっている以上、美しいだけでは済まないだろう。と私は思うなあ(笑)。(クーラン)