休日

せっかくの休日なのに雨。寒くてグダグダと過ごしてしまった。夕飯は家呑みする。
ということで今日のつまみ

  • 枝豆
  • 高野豆腐のひじき詰め
  • 南瓜サラダ
  • 変わり蒲鉾
  • コロッケ
  • その他 オットは「アクアブルー」、私は 「sol de espana blanco」できめる


大河ドラマ平清盛」第9回鑑賞。<あらすじ>明子(加藤あい)が男児を出産、「清太」と名付けられる。清盛(松山ケンイチ)は祇園女御松田聖子)に面会するが、
「亡き白河法皇がまいた災いの種が芽吹きだしている」と予見じみた言葉を残し、女御は隠居する。崇徳天皇井浦新)は、
鳥羽上皇三上博史)に疎まれ続け、義清(藤木直人)の歌のみを心の拠り所としていた。得子(松雪泰子)が念願の皇子を出産。
清盛も招かれた祝宴の席で、義清の詠んだ歌が波紋を呼ぶ。


ついに、雅仁親王松田翔太)登場〜!!! 若き日の後白河法皇は、鳥羽上皇をとりまく、王家の様々な膿を象徴する人物
として、現れる。
前回、璋子(檀れい)は、菊の花壇を眺め、かつてそこには鳥羽院が璋子に捧げた水仙が咲いていたことを思い「そこにあった時には、
何とも思わなかったが、無くなってみると寂しいもの」と呟いていた。愛されるのが当たり前で、愛されない日がくるとは
夢にも思わなかった女性が、失ったものについてようやく考え始めているようにも見える。
そして、崇徳帝は、政も執り行えず、義清の歌が心の拠り所となっていく。帝でありながら、心を許せる者が武士の義清しかいない
という異常な現状。孤独に苦しむ帝の頼りなげな姿に、義清が強い義憤を感じる気持ちが理解できる。
ところが、得子(松雪泰子)が鳥羽上皇の皇子を産み、朝廷の均衡は緊張状態に。
皇子の誕生を祝う宴会が開かれるが、当然のように鳥羽の隣に座る得子を見て、璋子はどう思ったのだろうか。
さすがに心中穏やかではないよう見えた。
そこで義清が、この場にいない崇徳天皇の歌を詠む。弟の誕生も祝うことができない帝の気持ちを代弁して、王家の現状に
一石を投じたかったのだろうが、ここから、宴は奇妙なものへと変わっていく。ここぞとばかりに乱入した雅仁親王は、
鳥羽院・璋子・得子の愛憎や、権力欲にまみれる乱れた王家の様をあげつらい、得子は璋子への憎悪に満ちた言葉を吐き、
璋子は自分には人を愛する気持ちがわからないと泣き出す。まさに阿鼻叫喚の宴と化す。王家の恥と毒を全て晒してしまったのだ。
およそ、臣下の前でやることではない。そして驚いたのは、藤原摂関家がその宴を退出したこと。「馬鹿馬鹿しい!」と席を蹴り
去っていく姿に、王家に対する敬意など微塵も感じられない。涙を浮かべて屈辱に耐える鳥羽院の姿が印象的だった。
これは、王家の威厳や権威が、もはや地に落ちたことを指し示す事件だったのではないかと思う。
そして、その一切を見ていた清盛は朝廷内の乱れた政の実態に失望する。清盛の中で、王家や貴族に対しての怖れや敬意の感覚が
薄れていくきっかけにもなったのではないかと思う。その感覚は、何故、政を貴族が行わなければならないのかという疑問にも
つながっていくのではないだろうか。


ところで、義清と璋子がデキてしまう展開にはビックリ(笑)。義清ほど賢い男が「どうして?」と思ったが、これは義清の美意識も
関係しているのかなと思う。崇徳帝にしろ、璋子にしろ、絶望に苦しみ耐えている人の姿に、儚さや美しさを感じるのではないか。
その苦しみに寄り添いたいと思うのではないか。そして、自分なら、璋子に人を愛する心を教える事が出来ると考えたのではないか。
しかし、これも賢い男が陥りやすい罠になりそう。璋子が身を任せたのは、義清が「そうしろ」と言ったから、言われた通りに
しただけ。物事を自分の頭で考える事が出来ない人なのだ。そこには、愛も情もない。


雅仁親王と双六をする羽目になった清盛は、繊細さと傍若無人さが、代わる代わる顔を除かせる雅仁の禍々しさに圧倒される。
癇に障る雅仁親王の笑い方を「構ってほしいと喚いている子供のようだ」と吐き捨てていたけど、つい最近まであなたも
そうでしたよ(爆)! しかし、孤独と幼さを持て余し、触れたら切れる刃のように周囲に毒と悪意を撒き散らす雅仁は、
やはり清盛とは違う。笑ったかと思えば、もうキレるという様子で、全く捉えどころがない。清盛が徐々に疑問を感じている
王家という存在の不気味さ、したたかさを体現する存在になっていくと思う。
二人の長きに亘る双六遊びの始まりを描いていたけれど、考えてみれば、清盛と後白河、清盛と源義朝平氏と源氏と、
今後は様々な組み合わせの双六勝負を見ることになる。それぞれの勝負の見せ方が楽しみ。(クーラン)