「妖怪人間べム」第3回感想

<あらすじ>涙で人間になれると考えたベラ(杏)達は、人間の涙を集め始める。ある日、ベム(亀梨和也)は自殺を図る
老人・和久井(平田満)を救出。だが、若い頃にも自殺を図った和久井を救ったベムは、助けた意味があったのか悩み始める。
その後も生きる意志を持たない和久井に、ベムは自分の正体を明かす。


今回、妖怪人間達の前に現れたのは、彼らが50年前に助けた和久井という老人。余命わずかな彼は、妻に先立たれ、身寄りもなく、
生きていく理由を見失っていた。和久井は50年前の姿のままの妖怪人間達を同じ人物とは気付かない。それを寂しく感じる
ベロ(鈴木 福)に「自分達は人間の思い出に残るほど一緒に過ごすことはできない」と諭すベラ。
誰とも深く関われず、その為、彼らは人間の記憶に残ることはない。それはこの世に存在していないことと同じではないだろうか。
人間と妖怪人間との哀しい関わり方が見えてくる。そのくせ、妖怪人間達には出会った人間の記憶は残り続ける。
50年前、助けたことを感謝してくれた和久井と、現在の不幸せそうな和久井。その落差にベムはショックを受ける。
困っている人間を助けたはずなのに、辛い人生を生き永らえさせただけなのか。自分達がしたことは何の意味もなかったのだろうかと。


「生きていく理由がない」と言う和久井は、死ぬまでにやりたいことをノートに書きだしていた。
「失敗したっていい。やれることだけでもやってみよう。」と励ますべムに「それじゃあ意味が無い」と答える和久井。
ブーメラン、ピアノ等をやってみるが、案の定なにひとつ満足に出来ない。それは、和久井の人生を象徴しているようで、
更に彼を惨めにさせる。経営していたネジ工場は潰し、支えてくれた妻にも何にもしてやれなかった。何も為せず、誰も幸せに
出来なかった、大切なものもカバン一つで納まってしまうちっぽけな自分。こんな人生に何の意味があったのか。
何も出来なかったのならば、意味がないではないか。
和久井の年齢には遠いが、それでも彼の気持が分かるような気がした。誰でも人生の実の部分をどうしても数えてしまうものだと思う。
自分は何が出来たか。何を為したか。何を残せたか。そこに生きる意味や価値を見出そうとする。ならば、実が生らない木は
生えていてはいけないのだろうか? 
そうだ。もっと早く死んでいれば良かったと言う和久井に、思わずベムは正体を明かしてしまう。
「自分達は人と関われず、何も生み出せない。死ぬこともなく長い時間ただ生きているだけ。自分達はこの世界に、いてはいけない
存在なのかもしれない。だからせめて生きている意味があると信じたい。」
和久井の嘆きは、この世に存在していることさえ認められぬまま、長い時を生きる妖怪人間達の嘆きそのものだった。
ベムが困っている人間を見過ごせないのは、そこに生きる意味があると信じているからだ。それさえも無駄なことだとすれば、
死ぬことすら出来ない妖怪人間はずっとこの世に存在してはいけない生き物のまま。和久井が「自分の人生には意味がなかった」と
思いながら死ぬことは、ベムの唯一の生きがいが否定されることなのだ。
ベムの嘆きに心を開く和久井。「やり残しノート」に書かれた「雪男に会う」に線を引く。それは異形の者であるベムにしか
叶えられない和久井の夢。ベム達が、妖怪人間という存在のまま、初めて人間に受け入れられた瞬間だったと思う。


しかし、老人の存在を受け入れない人間もいる。「何の役にも立たない年寄り達のしわ寄せで、自分達の未来が奪われていく」と考え、
老人ばかりを狙って強盗し続ける熊川(細田よしひこ)の前に、「名前のない男」(柄本明)が現れる。悪意のままに和久井を襲う
熊川にベムは叫ぶ。「なぜ人が懸命に生きてきた姿を受け入れられない。お前も同じ人間だろう」
「金にもならない大切なもの」を守ろうとする和久井。和久井を救うために醜い妖怪人間の姿となったベム。必死に生きてきた
年長者を「ゴミ」と嘲笑う熊川。本当に醜いのは一体誰なのだろうか?


和久井の「やり残し」を達成させる為に彼を待つ妖怪人間達の元に、和久井から手紙が届く。実は和久井は旅に出ていた。
今のままではべム達に甘えてしまう。これからは、自分で「やり残し」に線を引くことを決意したのだ。
「自分の人生は何の意味もないものだと思っていたけれど、それは間違いだった。何も成し遂げられなくても、生きているだけで
少なからず誰かと繋がっている。だから、人は生きている、ということだけで十分なのかもしれない。朝、目を覚ませば生きている。
それだけできっと今日を生きる理由になる。
私の人生は、これはこれで良かったのかもしれないと、今、ようやく思える。それは君達のおかげだ。自分達はこの世界にいては
いけない存在だと言っていたが、そんなことはない。君達がいてくれて私は本当に救われた。」
和久井の人生は決して意味がないものではなかったと思う。少なくとも彼は妖怪人間達を救ったのだ。ベムの生きがいを守り、
ベロに約束を交わす喜びを教え、彼らと共有できる思い出を作った。妖怪人間達の存在をありのままに肯定した。
この世界に存在していいのだと教え、更には自立していった。人生の最後に、たった一人で生きる喜びを味わう和久井の姿に
強さと気高さを感じて涙が止まらなかった。


人間は必ず死ぬ。生まれた瞬間から一秒一秒、死に近づいていく。まっさらで元気だった体は、やがてポンコツになり、
最後は辛うじて生きる中でただ死ぬのを待つだけ。そう考えると、生きることは哀しいことなのかもしれない。
その姿は、くだらなかったり、哀れに見えたりするのかもしれない。それでも、生きる意味はある。滴る僅かな水が草木に
花を咲かせるように、小さな善意が気付かぬうちに誰かを救ったり、命を繋げたりすることもあるのかもしれない。
何も為せなかったとしても、生を全うすることにはきっと意味があるのだ。それは誰かと繋がり、世界に関わり続けることでも
あるのだから。だから、ベム達は人間になりたいのだと思う。夏目のように優しく、和久井のように強い人間に。(クーラン)