雑感色々

この日はレイトショーで映画を観に行った。映画の前に日高屋で食事をする。
ということで今日の夕飯

温玉うま丼(オット)&黒酢しょうゆ冷やし麺(私) 私はウーロンハイできめる。オットは呑まず。


★この日観た映画は「インセプション」(監督:クリストファー・ノーラン
出演:レオナルド・ディカプリオ渡辺謙マリオン・コティヤール)。
人が夢を見ている間に、潜在意識の奥深くに入り込み、貴重な情報を盗む産業スパイ集団。
しかし、最後のミッションはアイデアを盗むことではなく、潜在意識に「ある考え」を植えつける事だった。


夢と現実を行き来する物語、または何層にもわたる夢の入れ子構造等の設定は、
押井守の作品で日本人には割と馴染みのある題材なのではないかと思う。
ヴィジュアル面はとにかく凄かった。圧倒された。それだけでも観る価値はある。
ただ、夢を題材にしているのに、そこに暗さや恐怖をあまり感じなかったのが意外だった。
夢やミッションの設定をきっちり作りすぎているからなのかもしれない。
主人公が抱える闇も、何度も説明されるうち不穏な空気が薄くなってくる。
深層心理に潜む闇が呼び寄せる恐怖、夢と現実の認識のズレがもたらす混乱を
もう少し味わいたかったようにも感じる。
まあ、スパイ映画的な要素が強いので、そういう作品として作ってはいなかったのだろうけど。
ラストのオチは効いてました。


★「ゲゲゲの女房
第23週「妖怪はどこへ消えた?」は水木先生(向井理)のスランプが描かれていた。
私も物心がつきまくっていたのでよく覚えているが、この頃マンガ業界では既に「大友克洋」が登場し、
漫画表現が革新的に変わろうとしている頃だったと思う。読者が漫画に求めるものも変わってきていた。
そんな中で水木先生の仕事が減っていったのは、スランプというより「時代の流れ」と
いうことなのだと思う。
そんな状況で、創作のモチベーションを保つのは並大抵のことではなかっただろう。
家族・スタッフの一個小隊を抱えていても、この問題を解決できるのは創作に携わる本人だけ。
布美枝さん(松下奈緒)にもどうすることも出来ない。
ついに妖怪を、自分の描いているものを信じられなくなった水木先生を見て思わず涙した。
でも、小豆洗いとの出会いによってようやく長いトンネルを脱する。
本当にソレを見たのかというのは問題ではない。妖怪を描き続けることには意味があると、
水木先生が信じることが出来たということが重要なのだと思う。
久しぶりに戌井(梶原善)の登場にも感動。昔から創作で苦しむ水木先生を励ますのは
いつも戌井だった。変わらぬマンガバカの姿が胸に沁みた。


第24週「人生は活動写真のように」は、水木先生の父・イトツ(風間杜夫)が天国に旅立った。
「若い娘と隠れデート」疑惑も飛び出し、美人好きのイトツらしい最後だった。
死に際、夢の中の映画館で懐かしい人々と自身の生涯を振り返り、「もう終わりか。楽しかった!」
と笑ったイトツを羨ましく感じた。私もかくありたいと願う。(クーラン)