Mother 第八回感想

先日「Mother」第八回を見たので、今更ながら感想を。
〈あらすじ〉奈緒松雪泰子)と継美(芦田愛菜)の元に、仁美(尾野真千子)がやって来る。
奈緒はもう一度母親として継美に接してほしいと仁美を説得する。
一方、藤吉(山本耕史)は仁美の知人・克子(五月晴子)を訪ね、仁美の過去の話を聞く。
そんな中、葉菜(・田中裕子)は生命保険に入るため、医師の殊美(市川実和子)に
診断書の偽造を頼む。


今回は、仁美が怜南(継美)を虐待するようになる過程が描かれた重要な回だった。
初回を見た時、仁美が怜南にあまりに冷淡に接するので、この人はもともと子供を愛せない、
もしくは愛し方が分からない人なのだと思っていた。しかし、生後間もない怜南を抱き、
児童虐待のニュース」を見ながら「こんな親は人間じゃない」と夫に語る仁美は、
愛情深い普通の母親だった。それがいつから虐待する親になってしまったのか。
親子はやがて母子家庭となり、仁美は生活と子育てに疲れどんどん追いつめられていく。
仁美に同情する部分も沢山あった。早くに親になった為、同年代の友達と遊ぶ事も出来ない。
「母子家庭だから」と心ない人には揶揄される。子連れでは息抜きする場所ですら制限される。
仕事・家事・育児と、こんなに頑張っているのに誰も褒めてくれる人はいないのだ。
グチすらこぼせず、経済的・精神的にも余裕が無くなり、時々怜南にあたるようになる。
これもどんな家庭にもつきものだ。奈緒が言っていたように、殆どの親が子供をひっぱたきたくなる
衝動に駆られたことがあると思う。子供だって、親の機嫌の良し悪しで無駄に叱られた
経験の一つや二つあるだろう。しかし、独りで追いつめられていく仁美には、しつけと
やつあたりと虐待の境界線がどんどん曖昧になっているのが感じられ不安を覚える。
でも、海で衝動的に怜南を置き去りにしようとする場面は、そこまで追いつめられてしまった
仁美自身を痛々しく感じた。結果的に失敗したし、置き去りにしてもこの時の仁美なら
すぐに迎えに戻ったのではないだろうか。ギリギリかもしれない。
でも少なくともここまでは虐待ではなかったのだと思う。


明らかにこれは虐待だと感じたのは、怜南を独り家に残し、仁美が雅人と一週間の旅行に
出かけたところからだ。連れて行けないなら、なぜ無理やりにでも預けないのか。
幼児が火を扱って火事にでもなったらどうなっていたことか、考えただけでゾッとする。
それよりゾッとしたのは、雑然とした家で留守番をする怜南の姿。一週間昼も夜も
たった独りで過ごす寂しさや不安を思うと、五歳の子供に親がさせることかと怒りを覚えた。
狭苦しい家で独り自分を待つ娘に「シュノーケルしたよ」等と電話で話して聞かせる
仁美の神経を疑う。「ママのこと好き?ママが幸せなら怜南も嬉しいよね」と涙ながらに語る仁美。
この涙はなんなのだろう。まだ娘に愛されていると安堵し、そんな娘をいじらしいと
思ったのかもしれない。子供を犠牲にして楽しむ自分を情けないと思ったのかもしれない。
でも、彼女がしたことはある意味子供の生命を脅かしているのだ。
この時、仁美はついに一線を越えてしまったと感じる。
これ以降も自覚も無いまま怜南の命を危険に晒すことが何度もあったのではないだろうか?
例の「袋詰め事件」はその延長で起きてしまった出来事のような気がする。
ここまで怜南が生きてこれたのは、ちょっとした偶然や幸運が続いただけかもしれないのだ。
そして、この時から、「私が幸せなら怜南も嬉しい。だから娘はどんなことをしても私を赦してくれる」
という身勝手な思考が根付いてしまったように感じる。


やがて、怜南が雅人から虐待を受けている兆候が現れる。けなげに耐える怜南をいいことに
見てみぬふりをする仁美。でも、ついに怜南が「助けて・・・」と訴えかけてくる。
この時が親子の分かれ道だったはずだ。しかし、怜南を抱えて飛び出した仁美は、
衝動的に心中を図るが死に切れず泣き叫ぶだけ。結局娘を助けることが出来ない。
怜南は泣きじゃくる母親を見て「自分が弱音を吐いたらママは悲しくなる。死んでしまう。」
と思ったのではないか。母親を泣かせない為、死なせない為、これ以降怜南はなんでも
笑って受け入れる、物分りのいい子になっていってしまったのだと思う。


人生のある局面において、大切なものをひとつだけ選ぶ時は必ずやってくる。
仁美にとってまさにここがその時だったはずだ。仁美は、子供か恋人か、どちらかを
選ぶべきだったのだ。そして本来なら絶対に子供を選ぶべきである。でもそれが出来ないのなら、
しばらく娘と離れて暮らすことを考える道だってあったのではないだろうか。乱暴な考えだと思う。
娘には恨まれるだろうし、世間には蔑まれるだろう。でも、腹を痛めて産んだ我が子を
殺してしまうよりマシではないか。実際、仁美がどちらも選ばなかったツケを、怜南が
一身に背負う羽目になっている。ならば、生かすために離れるという辛い選択もあった
のではないかと思ってしまった。ここでふと思ったのだけど、葉菜もそうだったのだろうか?
犯罪を犯し奈緒を連れて逃げ回っている時、心中しようと考えたこともあったかもしれない。
それでも奈緒に生きていてほしかった。だから捨てた。そして奈緒がこの世にいるから
葉菜もこれまで生きてきたのかもしれない。


怜南と仁美の対面には号泣。「好きな物ノート」を差し出し「なぜママのこと書いてくれないの」
と詰め寄る仁美に絶望した。何で分からないんだよ。怜南にとってママはノートに書くまでもなく
大好きなんだよ。ていうか、このノートはママを嫌いにならないための、好きでいるための
ノートなんだよ。でも怜南は、ママに要らないと思われていると本気で信じてるんだよ。
だからいなくなったんだよ。なんで分からないんだよ。
「ママのこと好きでも嫌いでもない。もうママじゃないから」  ママが大好きなのに
心にも無い愛想尽かしのセリフを言わなくてはならない少女の気持ちを考えると胸が痛む。
奈緒の目の前で仁美とギュッとしたのは、最後のお別れのつもりだったのだ。
こんな小さな子供に、親を捨てる言葉を吐かせるまで追い詰めた仁美の罪は重い。
「笑わなくてもいいの」と奈緒に言われ堰を切ったように泣き出す継美(怜南)。
仁美を思って泣く継美を抱きしめて涙する奈緒。二人を抱きしめる葉菜。寄り添って
哀しみを分かち合う三人の姿が印象的だった。


奈緒VS仁美の場面にも色々考えさせられた。「怜南ちゃんを連れて帰らないんですか?」
と迫る奈緒。何が何でも子供を取り戻すのが親だろう。藤子がそうだったように。
でも仁美は「私を好きでない子供なんて死んだも同じ」と言い放つ。この人にとって
子供とは何なのだろうと考えてしまった。やはりどんなことがあっても自分を愛してくれる
存在でなくてはならないのだろうか?こんなにがんばったのに周りからは責められるだけで
報われないと思っているのだろうか?仁美にとって怜南が重荷にしかなっていないのなら、
本当に哀しいことだと思う。