Mother 初回感想

先日録画した「Mother」の初回を見たので、今更ながら感想を。
〈あらすじ〉大学の研究室が閉鎖され、研究員だった奈緒松雪泰子)は、小学校教師に。
1年生の担任になった奈緒は、生徒の怜南(芦田愛菜)が夜一人で出歩いている姿を見かけ、
体中にあざがあることにも気付く。しかし、学校側の対応は及び腰。
奈緒も傍観する1人だったが、ある事件をきっかけに怜南を誘拐して母親になる決心をする。


日テレがまた重いボールを放ってきた・・・。見終わってそんな思いにさせられたが、
それでもとても惹きつけられる内容だった。
まず画面作りから書き出してみるが、非常に広がりのある画で殆ど映画並みの画作り。
渡り鳥の群れを見上げる奈緒の能面のような顔を、じっと撮り続けるカメラに作り手側の
並々ならぬ気合を感じた。
演技の間も行間を読ませるような非常にゆったりとした演出で、冒頭から驚かされた。
そして、この演出や画作りは、多くを語らない登場人物達の心の動きを表現する為のものなのだ。
内向的な中年女が物心もとっくについた子供を誘拐する。
普通ならちょっと考えられない展開なのだが、それを納得させる登場人物の心理が、
この丁寧な演出で分かりやすくなっていたと思う。


まず誘拐される怜南。虐待を受けている少女だが、本来なら一番寛げるはずの家庭が、
足を竦ませるほどの緊張を強いられる場所となっているなんて、どれだけ恐ろしいことかと思う。
怜南が虐待されるシーンは直接的に何度も描かれることはないが、暴力を受けていることは明らかで、
もしかしたら母親の交際相手に性的虐待も受けているのかもしれない。
なにより残酷なのが、この家では彼女の尊厳を踏みにじるようなことが平気で行われているということ。
母親の仁美(尾野真千子)は、怜南に食事代の500円を握らせると毎晩寒空の下放り出す。
仁美の交際相手・真人は怜南をゴミ袋に詰めると、「ゴミ!」と嘲笑う。
仁美はどういう心境なのかと思うが、基本的に子供が好きな女性ではないような気がする。
あるいはどうやって愛したらいいのかわからないという感じ。
交際相手に虐待を強いられているようには見えず、むしろ怜南をうっとうしいと感じているようだ。
本もぬいぐるみも怜南の大切にしている物をわざと捨てる様子は、鬱憤を晴らしているようにも見える。
その一方で、怜南に対して後ろめたさも感じているようにも見える。
しかし、それでも怜南は母親を愛しているのだ。
そして、哀しいことに、母親が自分をたいして好きではないことも知っている。その理由は分からない。
だから、彼女は母親に愛されようと、どんな虐待にも耐えにっこりと笑うのだ。
しかし、その努力も限界を迎える。飼っていたハムスターは殺され、怜南と真人の只ならぬ雰囲気を
察知した仁美に折檻されて、文字通り「ゴミ」として屋外に捨てられる。
彼女は助けてくれた奈緒に「自分を札幌の赤ちゃんポストに入れてくれ」と頼む。
このままではいずれ殺されてしまうかもしれない。
母親を愛しているが、母親は怜南を要らないと思っている。だから、自分で自分を捨てに行くのだ。
見た目より遥かに聡い子供なのだと思う。
自分と母親が生きていく術を子供ながらに懸命に考えていた姿に涙が出た。


対して、誘拐する奈緒。冒頭まるで能面のような顔で登場した奈緒だが、その生活は殺風景なものだ。
30半ば。恋人も友人もいない孤独な暮らし。寂しさを感じるよりも奈緒はそんな生活を好んでいる。
なにしろ家族とも疎遠で10年近く会っていないという徹底振りで、特に母親(高畑淳子)を避けている。
無礼な記者(山本耕史)に「あんた男嫌いでしょ?」等と言われていたが、
男というよりも人間が嫌いなのだ。自分のことすら嫌悪しているようにも見える。
コミュニケーションの能力も低く、怜南のような子供にさえ警戒心を剥き出しにする姿は
大人というにはあまりにも頼りない。まるで「人生は死ぬまでの暇つぶし」とでもいうような
奈緒の暮らしぶりを見ていると、この人は何のために生きているのだろうかという気持ちにさせられる。


そんな奈緒がなぜ衝動的に怜南を誘拐したのか?
直接のきっかけとなったのは、怜南が屋外に「ゴミ」として捨てられていたことだ。
一話のラストで奈緒自身が捨て子だったことが衝撃的に明かされ、これまでの奈緒の人生に
大きな影を落としていたことがわかる。捨て子だった自分が、文字通り「ゴミ」として捨てられた
子供を見つけた時の衝撃はいかばかりだったろう。ここまで傍観者にすぎなかった奈緒の心に、
「この子が望むことをなんでもしてあげたい。」という激情が迸ったのが強く伝わってきた。
しかし、怜南の望みは「赤ちゃんポストに連れて行って」というものだった。
自分で自分を捨てに行くつもりなのだ。
この言葉が奈緒に重大な決意をさせたのだと思う。怜南を自分のような捨て子にしたくなかった。
怜南が親に捨てられる前に、怜南に親を捨てさせたかったのだ。
奈緒は「あなたのお母さんになろうと思う」と怜南に告げる。
しかし、果たしてそれだけで怜南は奈緒についていっただろうか。
赤ちゃんポストより、奈緒先生の方がまだマシだと思ったのかもしれない。
しかし「一生嘘をつきとおす」というのは子供には重すぎる言葉だと思う。
そして、怜南は母親を愛している。それなのに、なぜ奈緒について行ったのだろうか。


人は他者に認められて、初めて自分というものが成立するのではないかと思う。
その一番身近な他者はおそらく家族だろう。
親兄弟を愛し愛されることで、家族という一番小さな社会の中での自分という存在を認識できるのだ。
そういう意味では、人との関わりを拒絶している奈緒も親に愛されない怜南も、人としての存在意義を
見失っている人達なのだ。だからこそ、この二人は強く惹かれあったのだと思う。
一方的に施すのではない。互いに愛情を与えて返しあい、相手の中に自分の存在意義を見出す。
奈緒は心のどこかでそんな相手を渇望していたような気がする。
そして、怜南はそんな奈緒の孤独や渇望に触れたからこそ彼女を選んだのではないか。


しかし、一方で怖いとも思う。なにしろ奈緒は「慣れてない」のだ。
誰かに関わることも。関わられることも。愛することも。愛されることも。
そんな女性が注げるだけの愛情を注ぎ込んだら、いったいどうなってしまうのか。
終盤、列車に乗ろうとして一瞬ためらう奈緒の腕を力強く引く怜南の姿が酷く印象的だった。
この旅はこれまで「必要とされなかった」二人が、互いを通して自分という存在を勝ちとるための
旅でもあると思う。その為に激しい愛情や憎しみの感情に晒される時が来るのかもしれない。
それらを前に奈緒が立ちすくむ時、怜南が手を引いてあげてほしい。
それが出来るのは小さな怜南だけだと思う。(クーラン)