任侠ヘルパー 総評

周回遅れとなってしまったが、今頃「任侠ヘルパー」感想を。
〈あらすじ〉「タイヨウ」が閉鎖に追い込まれ、晴菜(仲里依紗)や園崎(大杉漣)は、利用者達の
受入先を探すがなかなか決まらない。羽鳥(夏川結衣)は認知症専門施設へ入所。
涼太(加藤清史郎)は、父・藤堂(陣内孝則)に預けられる。
一方、閉鎖された「タイヨウ」に、多数の高齢者がやってくる。高齢者を連れた鎌田(渡辺哲)は、
経営する施設が潰れ行き場がないと言い、一晩だけ預かってほしい、と懇願。
園崎は、仕方なく受け入れるが、翌朝、鎌田と連絡が取れなくなる


いよいよ最終回。「顔は男の履歴書」と言われるが、第一話の彦一(草なぎ剛)は「極道」というよりは、
こズルイ鉄砲玉にしか見えなかった。それはこの人が何も背負っていなかったからだと思う。
確かに組長なのだから組に対する責任はある。でも、この彦一は組員の人生も自分の人生でさえ
どうでもいい男だった。しかし、「タイヨウ」で様々な老人やその家族と接していくうちに、
彦一の男振りが段々と極まってきている。
「弱きを助け、強きを挫き、命を捨ててでも義理人情を貫く」彦一が本来望んでいた「任侠道」の
生き方を、介護の現場で知らず知らずのうちに実践しているからだ。しかし、任侠ヘルパー達は研修が
終われば、元の極道に戻らなくてはならない。最終回では彦一の進む「任侠道」が描かれる。


「介護難民」を押し付けられたタイヨウ。彦一達は彼らがいた「介護施設」を訪ねるが、
そこは施設とは名ばかりのアパート。万年床で悪臭が漂うタコ部屋だった。
更には老人宛てに「振り込め詐欺」と思われる電話もかかってくる。
「最低料金で最低のサービス」。そんな介護施設は少なくないと知ってはいたが、その実態にドラマ
とはいえ衝撃を受けた。そんな施設を利用せざるをえない人の「自己責任」の部分を全く感じない
わけではないが、それよりも、これは人間の暮らしではないという思いを強く感じる。
老人を喰い物にする輩に激しい憤りを覚える彦一だが、「研修」が終われば自分もまた同じことを
するのだ。その矛盾に苦しむ彦一は老人や涼太に当り散らす。
その涼太も羽鳥と別れ父親と暮らすことになり寂しかったのだと思う。
しかし、彦一に怒鳴られ、こみ上げる涙をぴよ口にして必死に堪えようとする。
「すぐ泣きが入るヤツに『兄貴呼ばわり』されたくない」という彦一の言葉を懸命に守ろうと
しているのだ。そんな涼太の姿に思わず我に返る彦一。もう、一人で生きていた頃の彦一ではない。
タイヨウの老人や涼太親子の人生に関わってしまっているのだ。いつのまにか様々なものを
背負っていることに気付き立ち尽くす彦一。その姿は弱々しく、また強くも見える。


タイヨウに藤堂ら厚生労働省の職員がやってくる。ロビーにあふれる高齢者を見た藤堂は、
医療面と衛生面に問題があるから保健所を呼ぶという。
困っている老人を見過ごせず、面倒をみたいというタイヨウ側。しかしタイヨウは認可を取り消され、
その運営は認められていない。ならば、国が面倒をみてくれるかというとそれもない。
老人達の受入先は探してくれるというが「たらい回し」にされそうで、とても任せることは出来ず
八方塞がりだ。目の前で誰かが困っていれば助けたいと思う当たり前の心情。
それを制度により阻まれるという矛盾。そのことにイラつく彦一。
そのうち、高齢者達が高熱を出し恐れていた集団感染が起きる。幸い重篤者は出なかったが、
タイヨウは不十分な施設の現実を突きつけられる。
藤堂は彦一に「介護を悪用する人間から高齢者を守る為にも制度は必要だ。高齢者を喰い物にする
人間がいるから、厳しい基準を設定せざるを得ない。」と言う。
また、偶然見つけた鎌田には「最初に奴らを捨てたのは 家族や国だ!ヤツラを墓場まで運ぶ義理は
俺にはない!」と逆ギレされる。
鎌田が最初に吐いた「助けようと思った」という言葉には何の重みも感じられない。
手に余る人数の高齢者を引き取り、彼らにまともな介護もせず、それも出来なくなったら放り出す。
無責任の極みだ。(というか、最初から年金を搾取するのが目的ではないだろうか)


本来、高齢者を守るためにつくられたはずの法律が高齢者を苦しめている現実。
しかし、心無い人間がいる限り制度の厳しい基準も保ち続けなければならない。
高齢者の力になりたくとも不十分な施設ではそれに対応することもできず、
しかし、このままではあの鎌田と同じように彼らを見殺しにする結果になるかもしれない。
目の前で困っている老人を放っておけない彦一だが、介護の現実はそれだけでは何の救いにも
ならないと悟る。介護について考えれば考えるほど袋小路になっていく。
「目の前の老人だけ救えればいいとは思えない。」以前、羽鳥が言った言葉を思い出す。
彦一はあの時羽鳥が背負っていたものの重みと苦しみをヒシヒシと感じているのではないかと思った。


しかし、集団感染したことにより、高齢者全員の受け入れ先が決まり、タイヨウは正式に閉鎖される
ことになる。集団感染が行政や受入先の対応を早めるとは皮肉なことだが、後手に廻るしかない現場の
状況もまた現実なのだろうと感じる。
隼會の幹部は彦一に決まり、任侠ヘルパー達は施設を後にしようとするが、なんと別の施設へ
行ったはずの高齢者達が戻ってくる。「ただいま」という利用者を「お帰りなさい」と受け入れる園崎。
その光景に耐え切れず出て行こうとする彦一。しかし五郎(五十嵐隼士)は「飯でも作るか」と呟くと、
ヘルパーのユニフォームに着替える。
背中の彫り物がタイヨウの黄色い制服にしまい込まれていく様に、人生の重要な選択が
意味されていて、野暮なセリフナシの演出もとても素晴らしいと思った。
彦一は施設を後にすると認知症専門施設にいる羽鳥のもとに向う。
眠る羽鳥に、静かな口調で自分の無力さを嘆く彦一。疲れきった姿が痛々しい。
こんなに弱々しい彦一を見るのは初めてで、彼が得たものと引き換えに請け負った苦しみを考えると、
胸が痛んだ。そんな彦一に羽鳥は、いつでも自分らしくあればいい、と語りかける。


翌日、隼會の幹部総会が開かれるはずだったが中止になり、りこ(黒木メイサ)は鷹山(松平健)に、
彦一が幹部を辞退し、替わりにりこを推薦してきたと聞かされる。
その頃、強制執行を控える「タイヨウ」では彦一達がバリケードを作っていた。
藤堂は高齢者達を解放しろと促す。しかし、彦一は「ここにいる高齢者は新しい施設に行っても
たらい回しにされるだけだから、自分達が最期まで面倒みる」と拒否。
「こんなことしたって何の解決にもならない。それでも、目の前にいる弱い奴、ましてや少しでも
関わった連中を、途中で放り出す気にはなれない。これが俺達の筋の通し方だ!」と宣言する。
やがて、警官達が突入し施設内に侵入、彦一らは、激しい暴力で応戦するが、数で圧倒的に勝る
警官達に制圧される。しかし、藤堂が見たものは「保護」された老人達が、連行されていく彦一の名を
口々に叫び続ける姿だった。
突入シーンは迫力があったが、正直唐突な気がして、ストーリー上必要かな〜。と最初は思った。
老人をそんな場所に置いたら危ないし、客観的に考えて、ヤクザが老人を人質にとっている図にしか
見えないし、多勢に無勢で彦一達の分が悪すぎる。
しかし、この老人達の姿を見て彦一達の行動の意味がなんとなく分かったような気がした。
彦一は「筋を通す」と言っていたが、それはこの老人達に向けたもののように私には思える。
介護施設は「家庭」ではないし、ヘルパーは「家族」にはなれない。
彼らが本当に欲しいものは彦一達には与えることは出来ない。
それでも「タイヨウ」に「ただいま」と帰ってくる利用者がいる。
国が捨てても家族が捨てても、自分達は絶対に彼らを捨てるようなまねはしないと分かって
もらいたかったのだと思う。彼らの為に体を張って闘うことでそれを伝えたかったのだ。


事件後に、「保護」された老人は、彦一の依頼で、六車(夕輝壽太)が立ち上げた介護施設
受け入れられることとなる。
また、 新聞には、「タイヨウ」での暴行事件が大きく取り上げられたが、そのほとんどが介護に関する
現在の行政を批判するものだった。これも彦一達の狙いかどうかはわからないが、結果として彼らが
行った「目の前の老人を救いたい」という行為は、介護行政のあり方を考えることに繫がったのだ。


数ヵ月後、出所した彦一は羽鳥のもとを訪ねる。彦一のことを認識しない羽鳥に
「今日は忘れてるみたい」と慣れた様子で明るく言う涼太。
しかし、彦一がタバコを吸おうとライターを鳴らした瞬間、羽鳥が言う。「ここは全面禁煙よ」
喜びと哀しみが入り混じる余韻のあるシーンだったと思う。
今日思い出しても、明日は忘れるかもしれない。彼らに遺された時間は限られている。
それでも、涼太は逞しくなり、時には幸せを感じる時もある。
哀しい部分もあるけど、決してそれだけではない。爽やかで印象的な終わり方だった。


全体的には、介護という非常にシビアな問題をエンターテイメントとして成立させようとした
志の高さに敬意を表したい。事実きっちり作っていたと思う。
放送前に「パンチ草なぎ」のポスターを見て、どんなへっぽこドラマを見せてくれるのかと思っていたが
(すみません)、毎回シリアスなテーマが盛り込まれていて、時にはやりきれなくなったり、
考えさせられたりした。毎回、見終わった後の余韻が素晴らしく、演出の妙を感じましたね。
俳優陣は、草なぎ氏の冷えた目が非常に怖く意外にもハマり役だった。
個性的な任侠ヘルパー達もキャラクターの書き分け演じ分けがきっちりされていて、それぞれとても
魅力的だったと思う。
ヤクザを美化しているようにも感じるが、それはそれで、あくまでもファンタジーとして成立していた。
介護の現場はあんなものではないと思うが、私のようにこのドラマをきっかけに介護について考える人は
大勢いるはずだ。過酷な介護の現場で働くヘルパーさんの待遇が少しでも改善されればいいと思う。
「気持で無理を通す」とか「任侠道」とかそんな言葉で介護を語らなくても済む日がくることを願います。
楽しく、為になり、時には苦しくなる三ヶ月でした。ありがとうございました。(クーラン)