任侠ヘルパー 第六回感想

既に第七回も放映されているが、今頃「任侠ヘルパー」第六回の感想を。
〈あらすじ〉彦一(草なぎ剛)は、晴菜(仲里依紗)から、年若い者でも認知症を発症することがあると
聞き、ここ最近の羽鳥(夏川結衣)の行動を思い返す。
一方、施設では風間(ミッキー・カーチス)のセクハラが問題となっていた。
そんな折、義理の娘・百合(横山めぐみ)に連れられて、認知症の多恵子(木村夏江)が入居のために
やってくる。多恵子を見た風間は驚愕する。彼女は風間の初恋の人だったのだ。
一方、二本橋(宇梶剛士)は別れた妻と暮らす娘・瑞穂と会う。瑞穂は、母親が再婚間近であると伝える
が、二本橋がまだ極道でいるとわかると失望と怒りをあらわにし、その場を去ってしまう。


今回は、老人の恋愛を描く回。このテーマを扱うのは結構難しいのではと思いながら見ていた。
「タイヨウ」のスケベ老人風間は、入居者への夜這い、女性ヘルパーへのセクハラ上等の「現役老人」
として登場する。この風間のキャラ設定はかなり難しかったのではないかと感じた。
要するに「セクハラ」の度合いが陰湿であっては、番組上支障を来たす。
演じるのはミッキー・カーチスだったが彼のおかげでかなり救われた部分があったように感じた。
演技のレベルはともかく、サラッとしていて嫌味がない。洒落者の風間のキャラクターを
巧く演じていると思った。(しかし「ケータイ捜査官7」のご隠居が、セクハラ老人とは・・・泣。)


タイヨウのヘルパー達はウンザリしているが、特に二本橋は憤りを隠せない。
彼は極道でありながら「愛する人は生涯ただ一人で充分!」と言い切る純情中年だったのだ。
バツ1ながら元妻への復縁を諦めていない二本松だが一人娘にはめっぽう弱い。
しかし、久しぶりに会った娘には「前と何にも変わってない」一蹴される。


これもね、分かる気がする。本人的にはスーツでバリッとキメたつもりだったのだと思う。
でもそれは一般的に「普通」といえる風体には見えなかったのだ。
思春期の娘というのは時には残酷な生き物だ。ただでさえ父親の存在を疎ましく思う年頃なのに、
その父親が「普通」でないということは年頃の娘には尚更許しがたいことなのだ。


落ち込む二本橋だったがなぜか風間と親しくなる。風間は認知症となった初恋の女性・多恵子と
偶然に再会。その日以来エロ雑誌もセクハラも封印してリハビリに精を出す。
多恵子をデートに誘い初恋を成就させようというのだ。
二本橋も元妻と娘の為、任侠ヘルパー達から非難を受けながらも、極道から足を洗う決意をする。
これまでの人生で失ったものを取り返そうとする二人は胸のうちを深く理解しあえたし、その真剣さも
自分のことのように感じていたのではないかと思う。


しかし風間の純愛は、多恵子の家族にとっては「セクハラ」でしかない。
義理の娘・百合には「汚らわしい。恥ずかしい。こんなこと家族は我慢できるわけがない」と罵倒される。
しかも、肝心の多恵子はどうやら風間を亡き夫と思い込んでいるようなのだ。


この「老人の恋愛」には色々考えさせられた。個人的には、老人のくせに恋愛なんて恥ずかしい。とは
思わない。ただその相手が認知症の場合、そもそも「恋愛」は成立するのだろうかと考えてしまった。
「好き・嫌い」の感情はあるというが、相手が誰かも判別できないのにその感情が湧くのだろうか?
例えば、相手を「好き」だと思うように、気持ちをコントロールされるようなことはないのだろうか?
現実問題として誰かに騙され事件に巻き込まれることもあるのではないだろうか?
認知症に詳しいわけではないので様々な疑問が湧いてしまった。
そう考えると百合が心配するのも仕方ないのでは。とも思えてしまう。


風間の事件は二本橋の精神状態にも影響を及ぼす。
「がんばったところで過去を取り戻せるはずがない」という和泉(山本裕典)の言葉に激怒し殴りかかる。
二本橋が烈火の如く怒り狂う様は、普段温厚である分ド迫力で、彼の風間への共感の深さと、
同時に自分自身を全否定している言葉に感じたのではないかと思った。
風間が二本橋に語る言葉が胸にしみる。
「散々遊び人を気取ってきたのに惚れた女には触れることも出来なかった。惚れた相手と一緒になるの
が一番の幸せだが、それが出来ないなら、相手が別の幸せを見つけたことをありがたく思わなきゃな。」
これは風間が様々な女性遍歴の中で会得した哲学だと感じた。派手な人生を送ってきたように見える
風間だが、今までも誰かの幸せをどこかで見守ってきたのかもしれない。
その言葉に動かされた二本橋は彦一とともに多恵子の家に乗り込む。
その頃、多恵子は「ある写真」を握り締め化粧をして「夫の帰り」を待っていた。
二本橋の懇願に百合ら家族もシブシブ折れる。


風間と多恵子のデート当日、それは二本橋が元妻に復縁を申し込む日でもあった。
約束の場所に急ぐ二本松。しかし偶然見かけた元妻とその恋人の仲睦まじい姿に何かを決意する。
ここは背中だけで心情を語らせる切ないシーンだったが、男の哀愁が漂う良いシーンだったと思う。
そして、娘・瑞穂に会いに来た二本橋は、スーツどころではなく完全な筋者の姿となって現れる。
そんな父に水をかけて席をたつ瑞穂。水を滴らせながら微動だにしない二本橋。
風間のように、彼が妻と娘の為に選んだ「身を引く愛」がいつか娘に伝わるといいと心から思った。


一方、装いもキザにキメまくった風間は待ち合わせ場所で期待に胸を膨らませて多恵子を待っていた。
そこに現れる彦一。そして知らされる多恵子の突然の訃報。それを聞いて視線を落とす風間。
「もう少し待つか。女の支度は時間がかかるからな。」そう言いつつも肩を震わせ泣く姿が痛ましい。
気ままに楽しく生きてきたように見えて、その実、孤独でもあったのだろう。
何も残せなかった男が始めて自分の全てをかけて語る言葉であっただろうに、結局それも叶わず、
生涯多恵子に触れることも出来なかった。彦一にもそして風間にもどうすることも出来ない運命だったのだ。


後日、多恵子の葬儀に出かけた零次と晴菜は百合に声をかけられる。
多恵子が握り締めていた写真に写っていたのは、学生服姿の風間と多恵子だったのだ。
認知症のため、風間を夫と勘違いしていると思っていたが、実は風間だと認識していたのではないか、
と百合はすまなそうに話す。


これは最後に大どんでん返しだった。
認知症の多恵子にとっては「好きな男性」はみんな「お父ちゃん(夫)」という言葉で一括りされていた
ということなのだろうか。
風間が誰だか分かっても、名前を思い出すことが出来なかったので、そう呼んだのだろうか。
多恵子の真意は分からないが、認知症でも彼女が風間に好意を抱いていたことは事実だったのだ。
風間の気持ちは通じていたに違いない。そうか、やっぱり恋出来るんだなあ。
つくづく感じた第六話だった。


しかし、この話の裏では、ついに羽鳥が「若年性認知症」と診断される。
羽鳥と涼太(加藤清史郎)から互いのことを心配する胸のうちを明かされる彦一。
さすがの彦一にも、この親子にとって何が最善の道なのか見当もつかないだろう。
いよいよシリアスになっていく後半に期待大。(クーラン)