アイシテル〜海容〜 総評

大分遅れてしまったが、「アイシテル〜海容〜」の感想を、ひっそりと書いてみる。
 

とうとう終わった・・・。
ついに対面した二人の母。土下座するさつき(稲森いずみ)に聖子(板谷由夏)は顔を上げてと促すが、
どうしても出来ない。そんなさつきの肩に手を添え
「あなたがどんなに苦しんでも、この先ずっと私は安らぐことはない。
夫と娘の為に笑いたいのにそれが出来ない。笑う時間が欲しい。だから・・・。」と語りかける。
ようやく顔を上げたさつきに「生きて・・・。清貴(佐藤詩音)とあなたのお子さんの為に。」と告げて
立ち去る聖子。
聖子の「生きて!」という言葉は許しとも取れるし、重いものを背負わせる言葉にもなるだろう。
そしてもう一つ、この言葉は、さつきに対して言うことにより「鏡に映った自分」に発した言葉にも思えた。
「空白の15分」が許せない自分。夫と娘の為に生きようと思っても、罪の意識で身動きも出来ない
聖子自身に対して、それでも生きて!と語りかける言葉だったのではないだろうか


立ち去る聖子は二人を見守っていた秀昭(佐野史郎)と出会う。
絶句する聖子に「わかっている」と頷き歩き出す。その後、埠頭にぽつんと佇み海を眺める二人。
このシーンがあまりにも美しく、哀しいシーンで涙が止まらなかった。
憎みきることも、許しきることも出来ず、ただただ苦しんできた二人。
この先、彼らにどんなに時間が流れ、痛みが和らいだように感じる時があったとしても、この気持ちは
永遠に続くに違いない。しかし、この瞬間こそが、二人の「スタートライン」となったのだと思う。


一年後、智也(嘉数一星)が出所(とは言わないか)。
敏江(藤田弓子)の家に住むさつきと和彦(山本太郎)のもとに帰ってくる。
しかし、終始浮かない様子で居心地の悪さを隠せない。
富田(田中美佐子)に「施設に戻りたい」と話し、さつきにも初めて自分の思いを打ち明ける。
智也は自分だけが普通に暮らすことに罪悪感を持っていたのだ。そんな智也にさつきは
「いつでも清貴君を思う気持ちは間違ってはいない。でも、それは智也が何もしてはいけないと
いうことではない。色々な経験をしなければ、智也は自分が犯した罪の重さに気が付かないまま。
それは智也の為にはならない」と語りかける。しかし智也は
「でも僕がここにいたら迷惑がかかる。お祖母ちゃんが書道教室を止めたのも、お父さんが会社を
辞めたのも僕のせい。僕なんか生まれてこなければよかったんだ!」と叫ぶ。そんな智也の頬を打ち、
「生まれてきちゃいけない命なんてない。どんな命にも生まれてきた意味がある。お父さんもお母さんも
智也がいなければ生きていけないくらい智也を愛しているの。」と抱きしめるさつき。


この一連の流れを見て色々と考えさせられた。
まず、さつきの毅然とした母親としての姿。さつきは智也の異変をすぐさま察知するが、智也の心を開く
には自分達が変わらなければいけないと和彦に語る。
確かに智也と会話すら成立しなかった初回のさつきと比べ、本当に変わったという印象を受けた。
初回の頃は伺うように智也に話しかけていたのが、この回では訴えかけるように話していて、
心に響いてくる感じがした。それが出来るようになったのは、さつき自身が変わったこともあるが、
和彦や敏江の支えもあるからなのだと思う。
これまでの母子だけの孤独で張り詰めた子育てが周りの支えや協力によって変わってきたのだと思う。
初めて子供を殴り呆然とするさつきをフォローする和彦の姿も、初回を知っているだけに心に染みた。


そして、この出来事は智也自身も変えたのだと思う。これまで、さつきを慕っているからこそ「良い子」
でいようとしてきたのだろう。その癖は退所しても変わらなかったのだと思う。
さつきを悲しませたくないから富田に「施設に戻りたい」と打ち明けた。しかし富田に
「思ってること全部お母さんに話してごらん。親子だって話さなきゃ分からないことがあるんだよ」と
促され、ようやくさつきに本音を吐き出す。
これまでは、お互い想いあってるのに、それが伝わっていない親子だった。
それが、互いに無我夢中で言葉を交わしぶつかりあうことで、互いの気持ちが伝わったのだ。
さつきが智也を抱きしめ「愛してる」と伝える、そしてその愛を全身で感じる智也。
二人の想いが初めて通じ合った瞬間、そしてこの父母子が本当の家族になった瞬間を見ることが
出来て本当に良かったと思わされた。


一年後、智也に弟が生まれる。乳児の弟に指を握られ、雷に打たれたかのように何かを感じる智也。
「生きてるんだね。僕は何てことを・・・。清貴君ごめんなさい。ごめんなさい・・・。」
涙を流す智也をしっかりと抱きしめるさつき。
ようやく「そのとき」が来たと思った。智也が、命の大切さを本当の意味で理解し、罪の重さを自覚して、
心から反省する瞬間が・・・。ついに智也がスタートラインに立ったのだ。
そして、この弟は智也に命の尊さを理解させるために生まれてきたのだと強く思った。
このドラマは結局この瞬間を描く為にあったのだと思う。


そして、同時に「償う」という言葉の意味も考えさせられた。
殺人を犯した人間が罪を背負って生きる。それはどういうことなのか。
「死ぬまで笑顔も浮かべず、喜びも感じずに生きろ。」そういうことなのだろうか。
というか、私も本作を見るまではそう思っていた。
そしてそのように生きるには、智也が言った通り施設に戻って暮らすべきなのだろう。
でも、そんな味気ない生活を送っているだけでは、さつきの言うとおり、結局のところ本当の痛みを
知ること無しに終わってしまうのではないだろうか。
智也は両親に愛され弟を愛して、初めて罪の重さに気が付いた。
小さな命を無条件で愛する喜びを感じて初めて命の尊さを理解できたのだ。
それは彼が苦しみを背負うことも意味している。智也はこれからの人生喜びや幸せを味わうたびに、
苦しみも同時に感じることになるのだ。
ただ息をしているだけの人生でその痛みを感じることができるだろうか。
この生き方もひとつの「償い」として、ありえるのではないかと、自分自身ようやく納得することが
出来たように感じる。


先日原作を読む機会があったが、被害者加害者の苦しみ、更には「母親という存在が宿命的に背負う
哀しみ」にまで踏み込んで描かれており、涙なくしては読めなかった。
そして原作とドラマの相違点を知り、ドラマに感じていた疑問というか違和感の理由も理解できた。
智也とさつきの断絶の理由は原作の方が説得力があったが、ドラマにするのは難しかったと思う。
ただ、聖子と美帆子の確執は正直原作のまま扱った方が、聖子がさつきに寄せる心情や
「嘆き悲しむ母の姿」をより納得させることが出来たのではとも感じた。
しかし、ドラマで特筆すべきなのは加害者家族の描き方にあったのではないかと思う。
原作は登場の数ページでこの家族に問題があると分かるように描かれているが、ドラマの初回では
ごくごく普通の家族として描かれていた。
単純に糾弾できるキャラクターを出さないことにより、このドラマは、子供を持つ親もそうでない人も、
物語を高見の見物で見る視点から引き摺り下ろした。
他人事ではない誰にでも起こりうる出来事として考えさせることに成功したのではないかと思う。


キャストは稲森いずみ板谷由夏田中美佐子川島海荷、皆様ともに素晴らしく、特に徐々に
血の気が失せながらも、まるで菩薩のような表情になっていく稲森さん、板谷さんが凄かったです。
山本太郎氏と佐野史郎氏の演技にも非常に心を動かされました。
女性陣が圧倒的な力を持ってドラマを動かす中、人間的な弱さや憎悪を表す和彦と秀昭のキャラクター
にとても共感できましたね。
そして、何といっても智也役の嘉数一星くん。原作は六年施設に入っていたけど、ドラマは一年で
退所していた。それはおそらく嘉数くんに最後まで智也を演じてもらいたかったからなのだろう。
一年というのはありえない設定だけど、ドラマのカタルシスを得る為にはその決断は正しかったと思う。
ラストだけ違う役者さんが演じても、その涙に到底説得力はうまれなかっただろうから。


「海容」とは海のように深く広い心を持って過ちを赦すことなのだそうだ。
このドラマは、聖子が智也やさつきを赦したということだけを描いたものではないだろう。
聖子は美帆子や秀昭に赦され、美帆子はキヨタンに赦され、さつきは智也に赦され、和彦は智也と
さつきに赦されている。みんな誰かを赦し、赦されて生きているのだなあと、そんな風に思わされた。
残酷な事件を扱いながら、悪人らしき人が登場せず、その為に登場人物全てに感情移入して深く
色々なことを考えさせられた。そんな三ヶ月でした。
(正直泣き疲れたのでラストに花束を受け取るキャストを見た時は心底ホッとしました・笑)(クーラン)

アイシテル~海容~前編 (KCデラックス BE LOVE)

アイシテル~海容~前編 (KCデラックス BE LOVE)

アイシテル?海容 後編

アイシテル?海容 後編