ツレがうつになりまして 第三回感想

すっかり遅れてしまったが、「ツレがうつになりまして」の第三回を見たので感想を。


今回がいよいよ最終回。
「お前はゴミだ」という考えが頭を渦巻き、投身自殺を図ろうと身を乗り出すツレ氏(原田泰造)。
しかし、通りかかった男性に「そこ、危ないですよ〜。景色いいですからね〜。」と声をかけられ、
一瞬思い留まる。しかし、諦めきれないツレ氏は(おそらくその人に)ケータイを借り、
てんさん(藤原紀香)に最後の挨拶をする。
「屋上にいる」という言葉を聞き、ツレ氏が何をしようとしているかを瞬時に悟るてんさん。
この時てんさんが感じた衝撃の深さが痛いぐらい伝わってきた。
家族の命が、今まさに消えようとしているその場に自分はいない。止める手立てが何もないのだ。
今にも叫び出したい衝動を喉の奥で必死に抑えながら、普通に話そうとする。
けれど、話題は普通のことでも、パニクッてるのが電話の向こうからでも、手に取るようにわかった。
てんさんが必死に繰り出した「夕ごはん、食べてくれる人がいないと困るからね」という言葉は、
「あなたが必要なの。どうしてもいてほしいの。」という叫びに聞こえる。
病気を苦にして死にたくなるという人もいると思うが、病気の症状の一つとして死への思考回路が
働く人もいるという事実をようやく理解できたような気がした。
ところで、この日ツレ氏は二度にわたって救われている。
一度目は最初に声をかけた男性。二度目はてんさん。
最初の男性はホントに何気なく声をかけただけだけど、もしそれがなければツレ氏は即、自殺していた
かもしれない。こういう「声かけ」って自分にはなかなか出来ないのだけど、やはりとても大事なこと
なのだなと強く思わされた。


その後、寝込んで起き上がれない状態が続くツレ氏。
散歩に行こうと言い出してんさんを喜ばせたかと思えば、雨の日は途端に調子が悪くなる。
まさに「振り子」のように一進一退を繰り返す。今まで人並み以上に何でもこなしてきた人が、
電話もかけられない、身体は悪くないのに起き上がれないともなれば、本当に自分自身がイヤになる
と思う。それを見守るしか出来ないてんさんの不安も伝わってくる。
しかし、悪いながらも、ツレ氏は徐々に出来ることが増え、色々なことに興味を抱けるようになってくる。


そんなある日、「うつ病を理解してもらうには、『誰でもかかる可能性がある』という認識から
始めなくては!家族の対処の仕方も知らせる必要がある」という里子先生(風吹ジュン) の言葉から、
てんさんは「自分たちのことを漫画にしよう」と思い立つ。
ツレ氏はシブシブながら同意し、編集者も説得したてんさんはいよいよ漫画を描き始める。
ツレ氏の日記を読み、漫画を書き起こす日々。それまで知らなかった自殺未遂の事実や闘病の苦しみ
を目の当たりにして「こんなことを書いていいのだろうか」と苦悶する。


あの、私はこの原作は本当に面白い作品だと思っていて、こういう題材をああいう絵柄と絶妙な
ユーモアで書き起こしたてんさんはスゴイ人だなあ。と思っていたのです。
「描く時は色々と大変だったろうなあ」とも、もちろん思ってました。
でも、その辛さや痛みというものの意味を自分はちっともわかっていなかったと、このシーンを見て
つくづく感じてしまった。
苦しむ家族の姿を追体験するように絵に書き起こす。描いては止め、描いては止めの繰り返し。
そもそもこんなに苦しんでいる人を漫画にして世間に知らしめる必要があるのか?
人にはわからない葛藤があったのだろう。ドラマのシーンなのでフィクションももちろんあるだろうが、
病気で苦しみ、更にその経験を作品とする際も、決して無傷ではいられなかった二人の姿に涙した。


本の発売が近づくにつれ、徐々に不安定になっていくツレ氏。
そしていよいよ「ツレうつ日誌」が発売される。批判や中傷を恐れるツレ氏だが本は大きな反響を呼ぶ。
「自分と同じ症状の人がいると知り安心しました」というメールに「おかしいのは僕だけだと思っていた」
と涙するツレ氏。例え家族でも病気の辛さの全てを理解できるわけではない。
今までツレ氏は、狭い部屋の中、世界の果てにいるような気持ちで「オレだけ、どうしてこんなにダメに
なっちゃったんだろう」と一人苦しんできた。しかし、同じように苦しんでいる人が他にもいると知って、
ツレ氏は自分は一人ではないと思えたのではないだろうか。
本の反響により2人は講演会で話すことになる。てんさんの心配をよそに「恩返しがしたい」と聴衆に
語りかけるツレ氏。
「病気の時は『自分は価値がない人間だ』という思いが頭から離れず生きるのが辛かった。
病気になる前は何でも完璧でなければ気が済まず、だから病気も早く直さなければいけないと
思っていた。でも今は弱さを認めることが結構大事だと思っている。
ハードルが低くなると、音や色、鳥のさえずりや人情、いろいろなものを感じられて、ある日ふと
『生きていて良かった』と思える。それがうつという病気なのです。」
そんなツレ氏を見つめて、病気でこの人はすっかり変わってしまったと思っていたけど、
より彼らしく生きられるようになったのだと感じるてんさん。


鬱の語源は、春になって草木が成長し、光をさえぎるほどに成長した状態なのだそうです。
このドラマは「光が遮られた春の日々」を、二人がこんな風に優しく捉えられるまでの道のりを描く作品
だったのだと思う。全3話ではありながら、それは充分描かれていた。
原作とは若干趣を変えつつも、両作で伝えたいことは同じであり、そういう意味でも、ドラマ化には意味
があったはずだ。うつ病は誰もがかかる可能性のある病気だということ。その症状の一例や日々を
ともに過ごす家族の姿を映像で見ることにより、この病に対する理解も確実に深まったのではないか
と思う。


キャストは、藤原さんのダメダメてんさんが可愛く、泰造さんのツレ氏も見ていて痛々しかった。
あ、でも闘病時のツレ氏とイグをもっと見せてほしかったなあ。
また、本作のカメラ・セットがとても素晴らしく、映像作品としても充分楽しめた。
なんだろ、画面の質感や照明がすごく良いんですよね。カーテン越しの夕陽や、ベランダから射す光。
カーテンを引いた室内の落ち着いた明暗とか。一瞬、自然光なのかと思ったほどでした。
セットもまた良かった。狭くて生活感に溢れながらも、ホッと出来る部屋。
でも作家さんの部屋であるというのも一目でわかるように創ってあって、美術のレベルの高さが伺えた。
思えば、この二人は殆ど室内で、喧嘩して、葛藤して、希望を見出してという時間を過ごしていた
わけで、部屋に篭って過ごした日々の絶望感や閉塞感、そして幸福感を、このセットや照明・カメラ
そしてキャストは十二分に表現していたと思います。

ツレがうつになりまして。

ツレがうつになりまして。

イグアナの嫁

イグアナの嫁

↑これも大好き。なんといってもイグがかわいい〜。マイナス思考クイーン時代のてんさんのエピソード
や、ツレ氏が鬱になる前の躁状態のエピソードも、身につまされる。
特に躁状態のツレ氏がライブにのめり込んでいく心理状態は、初めて読んだ当時、とても他人事とは
思えなかった。(クーラン)