「親子三代、犬一匹」終了。

朝日新聞夕刊で連載されていた藤野千夜作「親子三代、犬一匹」が」先日終了した。
以下、勝手に感想文!
なんというか不思議な物語だった。内容は、東京の下町に3代で暮らす柴崎家の物語。
父親は亡くなり、祖母、母、高校1年の姉、小学6年の弟の4人家族。
そしてもう1匹がペットのマルチーズ
一応主人公らしき者は弟の章太。姉の夕樹等、他の家族目線での話もある。
しかし、一人称でこそないものの大体はこの章太目線での話。


章太の小六から中一にかけての10ヶ月(だったかな)の出来事を描いており、ずっと好きだった
絵里寿(エリス・いかにもいまどきの子という感じの名前だ!)とせっかく両想いになったのに、
照れてモジモジしているうちに結局振られて落ち込んでいる。という背景で物語がスタートする。
恋あり、卒業ありで盛り上がらないわけがない!と言いたいところだが、これがちっとも
盛り上がらない。それは、たぶん章太の性格が影響しているのだと思う。
中学受験も合格し勉強は出来るのだが、とにかく打たれ弱くてへタレ。
それなりに友達もいるし楽しくやってはいるが本当は結構なビビリ。
そんな子が日々の些細なことにひたすらジタバタ・グルグルしている話なので、
読んでいて最初は戸惑った。
だってね〜、オバハンが小六の恋バナとか読んでも、そりゃ燃えないし、萌えないわな〜(爆)!


しかし、その後、読み続けているうちに徐々に面白く感じてきた。
要因の一つは章太とその背景である家族の描写だと思う。
柴崎家は下町の三世代家族だが、いわゆる「古き良き昭和の家族」のような濃密過ぎる関係ではない。
家族は、マルチーズのトビ丸を溺愛する姉の夕貴。子供二人と姑を食べさせるため、
今日も小説を書くお母さん。やさしいお祖母ちゃん。ふらりと遊びに来る亡き父の弟明彦叔父さん。
父親が亡くなり、家の要となる大人の男がいないせいか、比較的おおらかというかゆる〜い雰囲気の
家庭だ。柴崎家の大人・お母さんとお祖母ちゃんが、母・娘ではなく、嫁・姑というのが
そもそも微妙な関係だし、このお母さんも結構いいかげん(笑)。
ベタつかない、かと言って無関心でもない。程良い親密感が漂う家庭なのだ。
そして、彼らの間を行ったり来たりして自然と家族の連帯感を醸し出させる存在がペットの「トビたん」
でこの子の存在はかなり重要な位置を占めていたりする。


この家族の中での章太は、基本へタレキャラではありながら、それぞれに少しずつ違った顔を見せる。
姉や母には素直な末っ子。おばあちゃんには甘え上手な孫。明彦叔父さんには時々生意気な
口を利く甥っ子。そうそう、子供だけど小六ともなると、こういう使い分けのようなことが
自然と出来てくる。「使い分ける」というか「空気を読んでる」という感じ。
こんな風に優しくゆるく繋がっている家族の物語なので、いわゆるホームドラマ的展開には陥らず、
最初から最後まで破綻が無い。いわゆる「事件」が起こらないのだ。
そして、これこそが本作の最大の面白さなのではないかと思う。


厳密に言えば、章太や家族に何も起こらないというわけではない。家族揃って梅祭りに行き、
章太は無難に中学デビューを果たし、明彦叔父さんと東大構内を散歩し、トビ丸は
ファッションショーに出演する。何かしら「出来事」は起こっている。しかし、なぜかそれは章太や
他の登場人物の内面や性格にダイレクトに影響を与える「事件」には発展しない。


これは物語として結構異常なことではないだろうか。
連載小説でありながら「事件」が起こらない。読み物を書くのであれば、「出来事」を「事件」として
扱い、登場人物にインパクトを与え、そこから何かを得る、つまりは変化や影響を描く方が
遥かに書きやすい。しかし、本作にはそれがない。
というか、藤野氏は相当な注意を払って、「事件」が起こらないように書いているとしか
私には思えないのだ。


ならば、藤野氏は本作で一体何を書きたかったのだろうか?
これは、章太という男の子の小六から中一にかけての10ヶ月間の物語でもある。
この「小六から中一」というのも、一つのポイントではないのかと私は思う。
私個人の考えだが、「中一」というと、身体も出来ていないし、昨日までランドセルを背負っていた
というイメージで小学校の延長という幼さがまだまだ残っているように感じる。
しかし、これが「中一から中二」では意味合いが大分変わってくる。
そろそろ思春期に入り自我が芽生えてくる。その結果、中一と中二では物事の捉え方、世界の見え方
が大分違ってくると思うのだ。本来なら「この期間」を描いたほうが「読み物」として成立しやすい。


しかし、本作は敢えてそこを描かず、思春期の直前、章太がおそらく子供らしい子供でいられる
最後の時間の出来事を描いている。
新しい友達と大いに遊び、おかげで成績はドロップアウト気味になり(笑)、のんびりと半年もかけて
ようやく部活(木工部)を決める。
しかし、自我や内面を描かない子供の目線で語られたそれらは、大人の目線で読めば「事件」ではなく
「のんきな出来事の羅列」でしかない。
だが、そんな「ゆるゆるデイズ」を積み重ねた末、物語の初回では家族揃ってチキンカツの夕飯を
食べていた柴崎家だが、ラストで同じようにチキンカツが用意された食卓に章太の姿はない。
友達と過ごす時間が長くなり、家族との時間が段々短くなってきて、お祖母ちゃんを少しだけ
寂しがらせたりする(そこは「トビたん」がすかさずフォロー)。
へタレ章太は相変わらずだが、彼の世界はちょっぴり広がり、「子供らしい子供の時間」の
イムリミットが近づいていることにようやく気付かされる。


事件も起きなければ成長もしない、釣りで言えば「待ちの時間」のようなぼんやりした時間を、
ひたすらゆるく描きながら、永遠に続くような、しかし確実に終わりが近づく子供の時間と
家族のひとときを描く物語として成立させる。
読み物としては非常に奇妙な作品を、あくまでも「ほんわか小説」の体裁を保って描ききった
藤野氏に非常に感動致しました。


キャラも結構たってたと思う。出番はあまり無かったけど絵里寿も可愛かった。
イギリスに行く前、章太とデートする絵里寿は、へタレ章太よりよっぽど男前だったわ。
ていうか、最初から最後まで100%彼女主導の付き合いだったな。「小悪魔系」か?  
美少年「ゆきのん」と絵里寿の関係もまさかの大道で唖然とした。


風忍氏の「え」もとても好きだった。妙にピントの合ったインパクトのある絵が毎回楽しみでした。
特に食べ物の絵がホント凄くて、あんな美味そうに食べ物を絵に書ける人はそうそういないと思う。
しかし、迷作「地上最強の男 竜」を描かれた風氏が、へタレ男子の「だらだらクオリティライフ」
の「え」を描くこと自体、この作品の確信犯的要素を感じてしまうのは私だけでしょうか(笑)。 
以上、勝手に感想文でした!  (クーラン)