アイシテル〜海容〜 第七回感想

周回遅れだが、「アイシテル〜海容〜」第七回の感想を。
〈あらすじ〉退院したさつき(稲森いずみ)は、「智也(嘉数一星)が犯した罪を一緒に背負い
共に生きていくことが、自分が生きている意味なのだ」と富田(田中美佐子)へ話す。
そして、遺族の苦しみを思い続けることだけが唯一の償いであるという想いを込めた小沢家への
二度目の手紙を富田に託す。


う〜ん。重い。今回も非常に見応えのある回だった。
小沢家は、清貴(佐藤詩音)の思い出を自然に語れるくらいに表面上は回復して穏やかな生活を
送っている。そんな折、さつきの書いた手紙が届けられ苦悩する聖子(板谷由夏)。
しかし「同じ母親として犯人の母親の気持ちを知りたい」という想いから「これで最後」という条件で
手紙を受け取る。手紙を読み号泣する聖子。
これはどういう涙なのかなあ。と考えてしまった。
事件を思い出す辛さ、息子を失った哀しみ、犯人への憎悪。
一言では言い表せない様々な感情が渦巻いていたのだと思う。
そしてその中には、加害者の母親への共感の感情もあったのではと感じた。
子を喪った母親が、いまだ子供を取り戻せない母親の苦しみに寄せる感情とも言えるのだろうか?


しかし、秀昭(佐野史郎)は、「この手紙を受け取ることは犯人を許すことになってしまう」と言う。
「事件を忘れたい」という秀昭と「事件と向き合いたい」という聖子。
秀昭は「納骨」を機に事件を忘れることで、元の生活に戻りたいと考えている。
しかし、聖子は例え辛い事実を知ったとしても、事件の真相を全て受け止めてからでないと、
前に進めないと考えている。どちらが正しいという問題ではないだろう。
ただ、さつきの手紙が聖子の中の何かを確実に変えたように感じる。


翌朝、自ら犯人の親に直接手紙を返してくると言って家をでた秀昭だったが、そこで「人殺し」等の
落書きで埋め尽くされた扉を目にして、立ち尽くす。
事実「人殺し」の親なのだから当然という考え方もある。
しかし被害者家族の糾弾と関係のない第三者の糾弾は、全くの別物ではないだろうか。
後者はいわゆる「世論」なのかもしれないが、過ぎるとただの「悪意」でしかなくなってしまう。
「犯人の母親も苦しんでいる」という聖子の訴えに「被害者家族の苦しみに比べれば
たいしたことはない」と取り合わなかった秀昭だったが、結局手紙を突き返すことが出来なかった。
加害者家族も被害者家族とは違った形の苦しみを背負っていると感じたからではないだろうか。
そして、自分達の苦しみを、第三者の無責任な糾弾と同列に貶めたくないという気持ちもあったのでは
ないかと感じた。


これまで、智也に拒絶されたままのさつきだったが、今回ようやく面会が叶う。
智也は、和彦(山本太郎)との面会でさつきの具合が悪いと知って心配していたに違いない。
真っ先に「身体大丈夫?」と聞いてくる智也に泣きじゃくるさつき。
このシーンを見て、智也がどれだけさつきを慕っているか痛いくらい伝わってきた。
しかし、次の面談で、さつきが飼っているカブトムシがいづれ成虫になる頃の話をすると、急に席をたつ。


この時、止まっていた智也の時間が初めて動き出したように感じた。
警察に確保されてから、厳密に言えば、ずぶ濡れで帰ったあの日、さつきに「悪い子!」と
叱られてから、ずっと智也の時間は止まったままだったのだと思う。
しかし、カブトムシがいつか成虫になるように、智也にも時間が流れているのだ。
富田に「いつまで、ここにいるの?」と尋ね「でも僕は死刑になるんでしょう?」と問う。
死刑になるから、さつきと一緒に成虫になったカブトムシを見れないと思ったんだよね。
この言葉を聞いて「ああ、この子はホントにまだ『子供』なんだなあ」と思った。
「あの子」を殺してしまったのだから、その報いとして当然自分も死刑になるのだと、
単純に考えたのだろう。その位「悪いこと」をしてしまったのは自覚している。
でも、自分や清貴の「生命の尊さ」については理解できていない。
幼くて自分の世界を守ることで精一杯なのだ。だからまだ、謝罪の心を抱くまでには、行きつけない。
なにより、事件前も今も智也の世界の大部分は「お母さん」が占めているのだと思う。
こんなに想いあってるのに、なんですれ違っちゃったのだろうと考えてしまう。
「例え悪い子でも愛してるんだよ」と、なぜ伝えられなかったのか。また察することができなかったのか。


そんな智也に語りかける富田の言葉が印象的だった。
「智也君はこれからも生きていくんだよ。『命の大切さ』とか知らなければいけないことが
いっぱいあるから。辛いかもしれないけど、お父さんとお母さんと一緒に生きていくの。」
「命の重さ」を智也が初めて認識した時、そこから彼の苦しみが始まる。
「生涯をかけて償わなければならない罪」を背負うのだ。
それを知りながら、「生きなければならない」と語る富田の心情も胸にしみる。


智也の「最後の扉」、そして「守っているなにか」についても、すごい考えてしまいます。
次回見るのが怖いような・・・。(クーラン)