絵本きらめく、たびたび

朝日新聞夕刊の「ニッポン人・脈・記」。12日「絵本きらめく」の連載が終了した。
絵本が好きなので、それに携わる様々な人達の記事は大変興味深かった。


9日は福音館書店の月刊物語絵本「こどものとも」の創刊秘話の記事が載っていた。
親が私に与えてくれた絵本達はまさにこの「こどものとも」だった。
こどものとも」は1号が1冊の絵本という新しい形での創刊。
当初はまったく売れず休刊すれすれだったそうだ。
当時絵本に関わりのない彫刻家や画家を大胆に起用し、苦しい状態でも優れた作品を
世に発表し続けた編集の松居直氏(現福音館書店相談役)のお話には感動するとともに
感謝の念を抱いた。
(↓安野光雅先生も大好きだった。これなんか忘れられない。まだ実家にある)

はじめてであうすうがくの絵本1 (安野光雅の絵本)

はじめてであうすうがくの絵本1 (安野光雅の絵本)


4日は「みんなうんち」で有名な五味太郎先生の記事が載っていた。
「自分には伝えるテーマはない」と言い切られていて、その理由として
「うまくデザインされた絵本は、読者が自由につかえる(解釈できる)」と語っていた。
更には「なぜ幼児向けとされるのか。自分はそんな常識と闘ってきた。」と語られ大変感銘を受けた。

みんなうんち (かがくのとも絵本)

みんなうんち (かがくのとも絵本)

私は「子供の為に作る」ということと「子供むけとして(手加減して)作る」ということは、
まったく別物だと捉えていて、後者ほど子供に対して失礼なことはないと思っている。
五味先生の作品は、この言葉を端的に表している。
作品は、それを読んだ子供が大人になった時も、美しいデザインが記憶に残るようにと願って
描かれたものである。
つまりは大人が見て美しく感じるようにも描かれているわけで、決して「子供用」として消費されるために
描いたものではない。


実際、私の記憶に残っている絵本の数々は、こういった理念で作られた作品ばかりだと思う。
絵の楽しさ、美しさ、文章の優しさ、哀しさ。そういった記憶は自分の財産になった。
これほどの作品達が「幼児向け」と一括りされることに違和感を覚える。


そして私にとってこれは絵本だけに限らない。
児童文学・漫画・特撮・アニメーション等の媒体にも当てはまるものだ。
映画・音楽・小説も含め、こういった媒体に今まで様々な恩恵を蒙ってきたが、最近そのお返しとして
自分に何が出来るのだろうということを、時々考える。
この「絵本きらめく」を読んで、その思いを更に強く感じた。


この記事を書かれた由里幸子さん、大変面白かったです。
写真の近藤悦朗さん、お疲れ様です。
ぐりとぐら」と中川李枝子・大村百合子先生の3ショットには涙がちょちょぎれました。
(クーラン)