BS「とことんルパン三世」第二夜

録画していたBS「とことんルパン三世」第二夜「ドキュメント ルパンを作った男達」を見た。
おおすみ正秋氏の製作当時の貴重な話を聞けて有り難かった。


おおすみ版旧ルパンで描かれるファッション、時計、銃、車、ヤマタケの音楽。
それらは、心に冷えたものを抱えるキャラクターを語る為のアイテムとして用いられている。
そういう形でアニメーションのキャラクターを造形する手法は本当に新しかったと思う。


「旧ルパン」が初めて放映されたのは1971年だ。
考えてみれば、その頃映画はニューシネマが作られ、世界中で新しい映像の表現が次々と
発表されていた時代だ。
おおすみ氏や大塚康生氏にとってはこの「ルパン三世」こそが、アニメーションの新しい表現を
作り出す為の絶好の作品だったのだと思う。
しかし、視聴率という形では結果は出せず、おおすみ氏は現場から離れる。
その後、長い年月他人が作ったルパンを見ることが出来なかったのは、それだけこの作品に
自分なりの自信と思い入れがあったからなのだろう。


最近、大人に「子供の時、ルパンを夢中で見た」と話しかけられることがあるそうだ。
「40年かかった。」と語っていた。
あの時、自分が作ったルパンが「与えた結果」が自身に還ってくるまで、40年かかったのだ。


私自身も再放送を夢中になってみた世代だ。
今はっきり言える事は私達の世代にとって、ルパンは一つの「基準」というべきものに
なっているということ。
「アニメーション」の基準。 「トリック」の基準。 「ユーモア」の基準。
ニヒリズム」の基準。 「悪女」の基準。 「フェアな関係」の基準。
「やさしさ」の基準。 「非情さの基準」。 「さりげなさ」の基準。
「かっこいいとはこういうことさ」の基準。
「旧ルパン」こそが一つの基準になってしまっている(書いてて恥ずかしすぎるっ)。


そして、当時、新らしすぎて理解されなかったそれらは、現在普遍的なものとなり、
日々色々な作家が「ルパン」を超えようと描き続けている。
大体これがなければ「カウボーイ・ビバップ」は存在していないだろう。
それを考えると、おおすみ氏が我々に与えた影響がどれだけ大きいのか、改めて感じ入る。
おおすみさん、本当にありがとうございました。(クーラン)