「ねたあとに」終了。

朝日新聞夕刊で連載されていた長嶋有作「ねたあとに」が昨日終了した。
最後の「遊び」は「ダジャレしりとり」だった。
最後が一番簡単でくだらなかったなあ〜(笑)。
でも、くだらない遊びでありながら、しょーもない「ダジャレ」を素面で言うのはとっても恥ずかしい
わけで、自分の中の「タブー」を侵すことかもっていうのが、更に笑えた。
これは、「眠い時か凍死寸前の状態」でなければ、とても出来ない「危険な遊び」なのだ(爆)。


本作を読んで思ったのは、「遊ぶ」のも「暮らす」のもセンスが必要ということだろうか?
ジャッキで支える(爆)山小屋での営みも、次々登場する遊びも、その時々によって
臨機応変に「ルール」が作られる。それもこれも「楽しむ」精度を上げる為だ。
毎年、山小屋を訪れる仲間は、そこで遊ぶというか、ダベってるんだけど、
一見マッタリしている感じでありながら、「楽しむ」感覚や精度は毎年上がっている。
そして皆、こと「楽しむ」ことについては貪欲だ(笑)。
何しろ彼らは「例え既製のゲームでも『普通』に遊んでなるものか!」という思想?を
持っているのだ(笑)。
でも、ここで言う「楽しむ」って遊びについてだけではない。
ハサミムシやネズミがいる山小屋生活そのものを「面白がる」感覚のことも言ってる。


例えば、山小屋の風呂場脱衣場のカーテンは画鋲でアバウトに留められていて、
その画鋲が落ちてるのを仲間が踏んじゃうんだけど、みんな「大丈夫?」とか言ったりしないわけ。
大うけしちゃうのね。「イマドキ画鋲踏んじゃう家って!」てな感じで。
家にツッコんで、面白がっちゃうの。それが妙に可笑しかった。
この人達はこれも楽しんじゃう方向なんだ!という感じが。
(もちろん、心配はしている…のか?)


コモロー、じゃなくて長嶋氏も最後まで遊んでました。
次の朝日新聞夕刊小説は「藤野千夜」氏に決定しているんだけど、その紹介として
藤野氏インタビューが掲載されたその日の「ねたあとに」では、コモローの作家仲間の
「フジノさん」から電話があって、「フジノさん今度、新聞で連載するんだって」と
語らせてます。その真上に「藤野さん」のインタビュー載ってるっつうの(爆)!
山小屋最後のゲスト「カズトC」はフジロックのビースティのTシャツ着て現れるし。
(↑今、まさにフジロックやってます)


ん?今、思いついたんだけど、この作品読んでる時の感覚って、
ビースティ・ボーイズの一連のプロモビデオ」を見てるときの感じと似てる(個人的意見です)。
いい大人が、しょーもないことを真面目に面白がってる。作品自体には意味もオチもない。
でも何と言うか、そこはかとないおかしみが常に漂っている感じ。
んん〜。なるほど(と勝手に納得する)。


毎回の高野文子先生のイラストもホント楽しかったです。
ていうか、この二人メチャメチャ相性良かったと思います。(クーラン)