ローソクの灯りに想ふ。

昨日、バースデーケーキのローソクを一回で吹き消すのに見事に失敗した私だが、
その時「淀川長治先生」のことを思い出した。
あれは先生が亡くなる2.3年前のこと。深夜番組で淀川先生の誕生日を祝う番組があった。
「お誕生日おめでとうございますう〜」のコールの中、巨大なケーキが登場したが、
おそらく律儀に年齢分のローソクをたてたのであろう(85本は立てられていたはずだ)。
膨大な小さい火が集まり、巨大な炎となってケーキの上で燃えさかっていた。
その光景はまるでケーキの上で焚き火が行われているよう、黒い煙まで出ている始末。
当然年寄り一人の肺活量では消せるはずも無く、というか
もはや人間の息だけでは消すことが困難なレベルになっていた。
ケーキが出てきてすぐ、誰もが笑えない状況だということに気が付いたのだと思う
(淀川先生以外)。
すぐ引っ込められていた。と記憶している(そして消火した後に再登場していた)。


その後、一番弟子を自負している永六輔氏が、誕生日にまつわる淀川先生との感動秘話を
明かす。(永氏は淀川先生と偶然にも誕生日が同じな為、一緒にパーティーを開こうと
誘ったところ、「私は毎年お母さんとお祝いすることに決めている。そもそも誕生日と
いうのは自分が親に生んで貰った事を感謝する為のもので、あなたと祝うものではない!」
と手酷く振られたらしい。しかし永氏は以降、律儀にその教えを守って自分も母親と
お祝いしているそうな。)
永氏が感動口調で秘話を明かし、淀川先生に話を振るも「あ?そうだったね。」と
アッサリ右から左へと受け流していた(爆)。
そのお姿を拝見して、私はますます先生のファンになってしまった(笑)。


いきなりこんな事を書くのは唐突だが、私がこの世で尊敬している唯一の人間は
淀川長治先生だ。
生涯映画を観た本数は、おそらく世界でも十本の指に入るのではないか?
でも、ただ観るだけなら、誰でも出来るだろう。
淀川先生の凄いところは、長い年月映画を観続けてその間ずっと自分の感性を磨く努力も
決して怠らなかったところだ。
一番好きな映画はチャップリンだったそうだが、その後60、70、90年代の映画にも柔軟に対応。
全てにとは言わないが、その映画に流れる時代の空気や本質を的確に評論されている。
黄金期の映画が一番好きな人が、70年代のニューシネマに対応する感性を持っていることに
驚く。80年代の映画はお嫌いだったらしい。その頃は観る映画全てがつまらなくて、
「私は映画が嫌いになってしまったのか?」と真剣に悩んでいたらしい。


晩年、「魁!淀川塾!」らしき集いの模様をテレビで見たことがある。
黄金期の映画について、それはそれはアツく語っておられた。
さすがにそのお姿は話に興奮し過ぎたボ○老人に見えなくもなかったが、それでも私は
感動した。人柄もかなりブラックなところもあり、オモロイ方だっと思う。
1998年に89歳でお亡くなりになった。一映画評論家として、死ぬまで現役であり続けた
淀川先生。あともう少し生きて、21世紀の映画を評論して頂きたかった。(クーラン)