休日

早朝、ジョギング・ウォーキングに励む。午後から映画を観に出掛ける。
映画終了後、「KUA`AINA」で食事。ということで今日の夕飯
  
アボカドバーガー、ローストビーフサンド、コブサラダ  ハワイアンビールできめる


★「ジャッキー・コーガン」鑑賞。(監督:アンドリュー・ドミニク、出演:ブラッド・ ピット、レイ・リオッタ)
〈あらすじ〉大統領選挙が白熱する2008年。経済危機による市民の苦しい生活とは裏腹に、テレビからは連日のように理想に
溢れた各候補者の言葉が流れていた。「優しく殺す」をモットーにする殺し屋ジャッキーは、「ドライバー」と呼ばれる
エージェントから、賭博場強盗の黒幕を捜索する依頼を受ける。ジャッキーは前科のあるマーキーを探し出すが、実際に強盗を
仕組んだのは別の悪党3人組だった。様々な思惑が交錯するなか、ジャッキーは事件に関わった人間を皆殺しにすることを決める。


う〜ん・・・。予告観た時「これは傑作かもしれぬ!」と鼻息荒くして出向いたが、観終わった時には何とも言えない心境に。
コレ観てつくづく思ったんだけど、最近は80年代リスペクトの流れがあるんでしょうね。作り手側の年齢を考えても、おかしくはない。
例えば、昨年の「ドライブ」は初期のコーエン兄弟、先日の「ビトレイヤー」はマイケル・マン(と一連の香港ノワール)のテイスト。
そして、本作からはアラン・ルドルフのテイストを感じた(違うかもしれないが、私はそう思った)。
がしかし、私はアラン・ルドルフの作品がたいして好きではないのです(すみません)。
日本では80年代アート系のミニシアターでよく上映されていた。もちろんつまらなくはないのだが、観終わるといつも自分の中に
微妙な空気が流れる。ぼんやりした話をまったりと描く作風、脱力感漂う意味のない会話、オチやヤマを必ずハズす演出。
画作りは凝っている。でも、映画全体を支配するあのシュールな空気感を楽しめる情緒や理解力が私には備わっていなかった。


で、この「ジャッキー・コーガン」なのだが、アラン・ルドルフ作品のような空気感が漂ってはいるが、演出も脚本も役者の演技も
イマイチなので、更に弾みません。や、二ヶ所くらい、ハッとする暴力シーンがあって、印象的に美しく撮ってはいるのだけど、
そこに行きつくまでには観てるコチラはかなりダレてるので、どうでもいいというか、切れかかった集中力を繋ぎ直すまでには
至りませんでした。う〜ん、残念。
ところで、この作品を観た後に、町山智浩さんの「ちょっとだけ解説」を読んだ。
この話は08年の金融危機での、サブプライムローンをギャングの賭場荒らしに象徴させたアメリカ経済の話だということ。
なるほど〜。けど、それを知って観たとしても、この作品に対する私の印象は変わらなかったと思う。(クーラン)