*[ごはん日記]三連休最終日

この日は、夕方から映画を観に東銀座に出かける。映画終了後「Becker's」で軽く呑んだ。

ソーセージエッグクロワッサンとハイネケン


★銀座シネパトス特集上映「旅の途中、映画スタア 高倉 健 そして、あなたへ…」より「夜叉」鑑賞。
(監督:降旗康男 撮影:木村大作 出演:高倉健いしだあゆみ、田中裕子、ビートたけし田中邦衛
〈あらすじ〉日本海の漁港。漁師の修治は15年前に大阪ミナミでヤクザから足を洗い、妻の冬子とその母・うめ、子供達と
静かな生活を送っていた。背中の夜叉の刺青は、冬子とうめ以外は誰も知らない。ミナミから螢子という子連れ女が流れてきて
呑み屋を開く。数カ月後、螢子のもとに矢島という男がやってくる。


昔、一度テレビ放映で見たきりだったが、再見すると新たな発見があり、面白かった。
86年の作品だが、今見るとその3年前に公開された金子正次主演の「竜二」を髣髴とさせるような内容だと感じた。
「竜二」も、ヤクザ稼業に虚しさを覚える男が、妻子の為にカタギになり、平凡で慎ましい生活を送るが、なぜかその平穏に鬱屈し、
再びヤクザの世界へと戻っていく様を描いていた。

竜二 [DVD]

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夜叉 [DVD]

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「夜叉」は、主人公の修治の行動の要因を更に分かりやすく設定している。足を洗ったのは、妹が組で流したシャブが原因で死に、
ヤクザ稼業にイヤケが差したから。なのに、また舞い戻るのは、魔性の女と恋におち、その愛人をヤクザから救い出すため。
でも、魔性の女云々はあくまでも分かりやすい「理由づけ」であって、修治の深層心理は、結局極道に戻りたがっていたのだと感じる。
修治が蛍子にどうしようもなく惹かれたのは、彼女の妖しい色気にヤラれただけではない。
ミナミから流れてきた蛍子から漂う華やかさやキナ臭さに、封印した過去の自分が呼びさまされるからだろう。
その世界を、多分修治は嫌いではなかった。男が命を懸ける価値がある場所だと思っていた。
足を洗い、荒れ狂う海と暗い雲が立ち込める空しか見えない街で、夫として、父として、漁師として過ごしてきた15年。
満ち足りているように見えて、この暮らしにどこか馴染めないものを感じていたのだと思う。騙し続けていた自分の願望が、
蛍子によって解放された。だから、修治はミナミに向かったのだ。


しかし、「竜二」と違うのは、「夜叉」の修治は、最後に元の暮らしに返ってくること。
妻子への愛情もあったのだろうが、一番の理由は、「極道」の世界はもう男が命を懸ける場所ではなくなっていたことだと思う。
ミナミに戻った時、修治は死を覚悟していたのかもしれない。惚れた女の為に闘い、似合いの世界で死んでゆく。
修治は、そんな風に人生を締めくくりたかったのではないか。でも、そうはならなかった。そこは男が男らしく死ぬことも
出来ないセコイ世界になっていた。ミナミに戻った時、様々な人に「骨の髄まで極道だ」と言われ、修治本人もそうだと思っていた。
でも、修治のような男達がいた極道の世界は、どこにもなかったのだ。
蛍子の愛人も助けられず、死ぬことも出来ず、修治は、結局、妻子の元へと戻っていく。
この漁港で生きていくしかないという事実を悟ったのだと感じた。


前半は異様にテンポが良くサクサク進み、中盤以降はメロドラマと任侠の世界を濃厚に描く演出が面白かった。
降旗監督ならではの独特の間の演出を堪能。木村大作の撮る冬の日本海の海は圧巻。画が登場人物の内面を雄弁に語っていた。
公開当時は世の中が段々と浮ついてきている頃で、最初見たときは「何故こんな重苦しい、湿っぽい話を?」と思ったものだったが、
今改めて観ると、色褪せない普遍性のある作品だったということがよく分かる。
どうでもいいが「不倫愛に陥る健さん」というのは、結構レアなのかも。劇場で観られて本当に良かった。(クーラン)
  シネパトスに、健さん直筆のサイン入りポスターが貼ってあった〜!