一人酒

この日オットは呑み会。私も一人酒する。
ということで今日のつまみ

  • 厚揚げと青梗菜の甘辛炒め(昨日の残り)
  • とうもろこし
  • チョコカフェクリスピームース(デザート)


★「私は貝になりたい」テレビ放映鑑賞。(監督:福澤克雄 出演:中居正広仲間由紀恵)
〈あらすじ〉高知で細々と理髪店を営む清水豊松は昭和19年に招集。終戦後、無事に家族のもとへ帰ってくるが、MPに戦犯として
逮捕される。従軍中、上官に捕虜処刑を命ぜられたのだった。拒めば自分の命がないことを、占領軍の裁判で訴えるも
聞き入れられず、死刑判決が言い渡される。妻の房江は減刑嘆願書の署名集めに奔走する。


タイトルの意味することを含め、大変有名な物語で、何度も映像化されているが、実は一度も見たことがない。
良い機会なので今回初めて見たが、あまりにも悲惨で救いのない物語で慄然とした。
元凶の事件が起こる前に、豊松の半生が語られるが、そこからして既に苦労の連続。
足に障害のある豊松は、人柄は良いが要領が悪く、他店の理容師の房江に惚れて付き合うが妊娠させ、二人は双方の店をクビに。
夜逃げ同然で高知に流れた二人は、死ぬくらいならと店を出す。やがて戦争が始まり、ひもじい暮らしの中、それでもようやく
一息ついたところで、今度は豊松が召集される。豊松の明るさに救いはあるのだが、事件前でも、かなりのどんづまり状態に戸惑った。
軍隊生活も悲惨。トロい同僚を庇ったせいで、豊松は鬼上官に目をつけられ、顔が変形するほど殴られ目の敵にされる。
その後、空襲を受けるが、撃墜した敵機から逃亡した米兵を、たまたま豊松の部隊が発見。
軍の最高司令者が下した「捕縛し適切な処置をとる」旨の「適切な処置」が、「処刑する」と解釈され、鬼上官はその執行者に
豊松を指名する。人を殺すことの恐怖に怯える豊松は、鬼上官に銃を突き付けられながら、木にくくりつけられた捕虜を銃剣で刺す。
しかし、実際はそれでもやりきれず、豊松の銃剣は捕虜の腕を掠っただけだった。なにより、木に縛られた時点でその捕虜は
死んでいたのだ。つまりは無実。それなのに、戦犯として逮捕され死刑を宣告されてしまう。
「何故命令を拒否しなかったのか?」と問う裁判官に「牛や馬扱いの二等兵が上官に逆らえるわけがない」と訴えるも、
なぜかアメリカ人に爆笑される豊松。日本の軍隊の特性を知らないアメリカ人には「日本の当たり前」が理解できないのだ。
このカルチャーギャップのシーンは興味深かった。
その後も、最後までとにかく悲惨でしんどい展開が続く。一番悲惨だと感じたのは、豊松が死刑に至るまでの経緯。
豊松は刑務所で、あの事件の最高責任者・矢野中将と出会う。軍人の時は姿を拝むことすらままならない高位な存在で、
「適切な処置をとれ」との命令を下した人物でもある。矢野は裁判での豊松の悲痛な訴えを目撃しており、自分の曖昧な命令のせいで
豊松の人生を狂わしたことを率直に詫びてくる。あの事件の最高責任者として、死刑を受け入れている矢野は、教誨師に既に
戒名をつけてもらい、旅立つ準備を粛々と進めている。死刑の間際には、あの事件の責任はすべて自分にあり、自分がその責を
負うかわり、事件に関わる者全てを減刑せよと、毅然と求めて刑に服す。矢野は死の間際まで、心の平安を得ることに腐心し、
最後に部下の減刑を求め、やらなければならないことはやった。その点だけは満足して死んでいったのではないかと思う。
では、豊松はどうか?豊松は常に希望を抱こうとする。無実なのだから当然だ。 英語が出来る受刑者と同室になったことで、
大統領に直接減刑嘆願書も出し、面会に来た妻子には「絶対に助かる。生きて帰る」と約束する。それを裏付けるかのごとく、
最近は死刑も執行されていない。そして、ついに減刑されたとのことで、豊松は刑務所から出される。喜びに舞い上がる豊松。
ところが、減刑は勘違い?で、豊松に言い渡されたのは、翌日死刑が執行されるとの宣告だった。
喜びの絶頂から絶望の淵に突き落とされた豊松の表情は、とても正気を保っているようには見えない。
豊松は希望を抱いたが故に、絶望に耐えきれなくなったのだ。最後まで助かることを心の底から信じていた豊松には、死を迎えるに
あたり心の平安を得る時間さえ残されていない。同じ死刑でも、矢野の死に方の方がまだマシだったと思えてくる。
明日迎える死の恐怖にただただ打ち震えることしか出来ない豊松の姿に、こんな理不尽なことがあっていいのかと思った。


映画のタイトルの意味を私は知っていると思っていたが、本当のところは知らなかったのだと、今回気が付いた。
「生まれ変わったら、私は貝になりたい」というセリフの前には、「もう何にも生まれたくない」という言葉があった。
生き物として生まれたくないと思うほどの絶望とは、どんなものだったのか。希望を抱いた分が、そのまま深い絶望となって
跳ね返ってくるという不条理。思えば、豊松の人生はそれの連続だったような気がする。だとしたら、何のために生まれてきたのか。
ここまでくると、戦争云々というより、ままならない人生の不条理を描いているように思えてきた。
映画としては、正直失敗作だと思う。しかし、生まれてきたくない思うほどの絶望とは、どんなものだったのか。
その一点についてだけは、深く伝わってきた。(クーラン)