休日

3月最後の日、しかも休日だったが、天気がイマイチで遊びに行けなかった。
夕方から、オットのクリーニングを出しに行く。夕飯は家呑みした。
ということで今日のつまみ

  • 高野豆腐の含め煮
  • 塩昆布とキャベツの和え物
  • 白身魚のタルタルソース添え
  • イカと里芋の煮物
  • オムポテ焼き
  • その他    オットは「アサヒブルーラベル」、私は麦焼酎「水郷ひた仕込み」できめる


★「カーネーション」鑑賞終了。
なんとか、見届けることが出来た。開始当初はハマれなかったクチだけど、それでも後半以降はとても面白く感じた。
前半は肝心の糸子に感情移入出来ず、そんな自分が不思議でならなかったのだが、糸子の尋常ならざる意志の強さに圧倒されて
しまったのだと思う。男前というより、まるでヒーロー。あまりにヒロイックな英雄に、こちらが感情移入出来る隙など
見当たらなかった。なので、玉枝(濱田マリ)が「その明るさ・強さは時に毒だ」と糸子を糾弾した時、薄々感じていた自分の気持を
玉枝が言っていることに、ビックリした。「元気で明るいヒロインを否定してもいいんだ」と、妙にホッとしたことを覚えている。
そして糸子が、娼婦に身を落とした奈津(栗山千明)を救ってくれと頼んだのは、身も心も弱っていた玉枝だった。
糸子は自分の「強さ」や「正しさ」だけでは、奈津の心を救えないと理解したのだ。奈津を助けることで、戦争で二人の息子を
喪った自分の心も立て直していく玉枝の姿には涙が出た。中盤辺りまでは、こういった魅力的な脇役達に、興味が集中していた。


糸子自身に魅力的に感じたのは、北村(ほっしゃん。)が再登場した辺りからだと思う。糸子と北村の掛け合いはホントに
面白かったなあ。ほっしゃん。さんが「大阪のおっちゃん」を味わい深く演じていて、北村が大好きになった。
周防(綾野剛)と不倫している時の糸子は「女のいじらしさ」が出ていたが、北村とやりあっている時は「人間のかわいらしさ」
が出ていたと思う。最後まで糸子にその気はなかったので、北村は2度もフラれてしまったけど、この二人の相性は最高だった。
人としてお似合いだったと思う。
中盤、服飾の流行に対する自身の感覚がズレ始めていると悟った時の糸子の衝撃と不安の表情には、惹きつけられた。
娘には理解出来る感覚が、自分には分からない。物づくりの厳しさを感じるとともに、どんなに努力しても、いつかはこういう時が
くるのではないか。とも感じる。
尾野真千子版の糸子は50代で終わるが、その最後に北村と交わした会話が印象的だった。
「この年になったら、これから先は大切な人達を失うばかりだ。一人でそのしんどさに耐えられるのか?」と問う北村に
「相手が死ぬだけで、何も失くさない。ずっと宝を抱えて生きていく。」と答える糸子。やがて味わうであろう「孤独」というものを、
こういう形で捉えることも出来るのかと、目から鱗の思いだった。大切な人との想い出は、「寂しさ」に変える為のものではない。
自分の宝にするものなのだ。今後の生活で、それこそ宝となりそうな言葉だと感じた。


後半の夏木マリ版の糸子は、本当に魅力的で、キャスト交代への違和感は、個人的には感じなかった。しかし、12年後の
全く様変わりしたあの商店街の様相には、ショックを受けた。そして、それまでの登場人物達の殆どが鬼籍に入っているという事実。
あの北村までもが! 小原洋装店の職人すらも全とっかえ状態。この展開には愕然とした。でも、この変化こそが、あれから後の
糸子を形作ってきたものでもあるのだと感じた。
夏木マリは、その「空白」により変化した糸子を巧みに演じていたと思う。終盤の糸子は、一直線な性格はそのままだが、
キツイようでいて少し丸くなっていた。癇癪を起こすように見えて、懐も深くなっていた。心が傷ついた人がいたら、その傷が
癒えるまで待てる人になっていた。自分も相手も、生きている者も死んでる者も、まるごと慈しむような感じが漂っていた。
でも、ちゃっかりしてるところはしていて、それは、年を経た人だけが醸し出せる愛らしさへと繋がっていたと思う。
考えてみれば、糸子が手がけた「仕事」や「集まり」は、「誰かの為になれれば」という糸子の気遣いから始まったものばかりだった。
それは糸子自身の喜びでもあったのだと思う。年をとることは、想像よりもずっとしんどいことなのだろう。
でも、こういう思いが、人を最後まで輝かせるということも、きっとある。と思わされた。


ドラマのオープングタイトルがクロージングとして流される最終回を見て、改めて「ある女性の一代記」を見届けたという
感慨が湧いてきた。朝ドラでは珍しい演出なのだろうと思う。
劇中「お母ちゃんの話を朝ドラにしたいという話がきている」と母亡き後のオハラ三姉妹が語るシーンがあり、どういう意図が
あるのか不思議だったが、ラストシーンを見てなんとなく分かったような気がする。
ラストシーンは、本作第1回目の放送を病院にいる老人が見ているシーンで終わる。もしかしたら奈津なのかもしれないが、
それは大した問題ではない。その人の傍に、多分糸子の魂は寄り添っているのだ。その人だけではない。本作を見ていた全ての
人の傍に、常に糸子の想いはあったのかもしれない。寂しい人・哀しい人・苦しんでいる人・幸せな人、みんなに楽しんでもらう為に、
元気づける為に、糸子が送り出した贈り物。それが本作だった。このドラマは、私達に届けられるべくして作られたものだったのだと、
最後の最後でようやく分かった。とても感動しました。


全体的には、最後に、こんな力技をもってくる渡辺あやさんの脚本に、中盤以降釘付けだった。多分大切な言葉がたくさん
詰まっていただろうに、記憶容量が少なすぎる自分が残念で仕方がありません。
豪華なセットも素敵でした。初回にスタジオでだんじり走らせてるところは絶句した。
俳優陣は、やっぱり糸子を演じた尾野真千子さんと、夏木マリさんがとても素晴らしかったです。二人が繋がって見えるのが
本当に不思議だった。前半は、糸子の父・善作を演じた小林薫さんの演技に、とても惹きつけられました。ああいう情けなくて
愛すべき乱暴者っているよな(笑)。凛々しい女性陣に比べて、比較的に情けなかったり、面白かったりする男性陣の描写が
面白かった。充分楽しみました。ありがとうございます。(クーラン)