この日、オットは残業で夕飯要らずとなる。私もあるもので済ませる。
ということで今日の夕飯

  • 冷やしきつね蕎麦
  • 豆腐サラダ
  • ティラミス(デザート)


★「マドンナ・ヴェルデ〜娘のために産むこと〜」最終回鑑賞。感想書いたつもりでいたけど、書いてなかったので今更(笑)。<あらすじ>みどり(松坂慶子)は茉莉亜(藤村志保)に理恵(国仲涼子)が代理出産を公表するのを止めさせて欲しいと頼む。
医師として不妊患者の希望になるためにも公表したいと理恵は反論するが茉莉亜はみどりに軍配を上げる。その後、みどりは帝王切開
で無事出産。しかし、丸山(長塚京三)が亡くなった事を知り、みどりは泣き崩れる。そして秘密だったはずの代理出産
何者かによって公表される・・・。


「私の子供だからこそ公表する意味がある」という理恵。「それは生まれた子が大きくなって自分で考え判断すること」と説くみどり。
どちらももっともに感じる。しかし「人間にはやってはいけないことがある」と母娘を制した妙高柴田理恵)の言葉が
個人的には一番心に響いた。「助産師として不妊患者の苦しみを見てきたはずではないか」と迫る理恵に、「患者は私自身です」
妙高は答える。彼女も病気で子宮を失った女性だったのだ。その苦しみを味わったうえで「現在の医学では子宮を失っても
子供をもつことが出来る。でも、それは本当に素晴らしいことなのか?」と自らの生命倫理に自問自答する妙高に胸を衝かれた。
この一言は理恵にとって衝撃だったのではないかと思う。自身も子宮を失った理恵は、医学の進歩を追及し、あらゆる可能性を提示する
ことこそが、患者を苦しみから救う道なのだと信じてきたのだろう。しかし、同じ苦しみを味わい、子供を持てる可能性を前にしても、
妙高のような考え方をする女性はいるのだ。理恵のこれまでの治療の中で、その可能性について考えたことがあったのだろうか。
可能性を提示するだけではなく、患者其々の命に対する畏れの感覚に敏感に向き合い、共に考えるべきではないのだろうか。


茉莉亜先生は代理出産そのものを否定はしなかった。しかし「母」としての一点から考えて、みどりを支持し公表に反対する。
さすがは茉莉亜先生だった。代理出産がもたらすであろう幸福の可能性は認め、理恵の子供が公表で蒙るリスクの可能性は
排除した。理恵は母親失格だと言われたようなもので、彼女は思わず丸山に「まさかお母さんに邪魔されるなんて!」と愚痴る。
そんな理恵に、丸山は「いつまで子供でいるつもりですか? 公表したいならあなたは事前にお母さんに言うべきだった」と諭す。
壮年の余裕が効いた?丸山のいなし方は巧みで、彼の存在はみどりと理恵を深刻な親子不和から何度も救ってきたと思う。
なので、丸山がいなくなったのは寂しかった。


代理出産」の秘密を公表したのは妙高だった。それにより、理恵は大学を辞めざる得なくなる。しかし、代理出産が罪に
問われることはない。よって、大学は「年老いた母親に子供を出産させたこと」に対する倫理上の問題として彼女を断じた。
理恵を追い払う体のいい理由として「倫理」という言葉が上がってきたということに、皮肉を感じる。
個人的には妙高に嫌な印象は湧いてこない。彼女の気持ちがなんとなく理解できる。
「未熟であることを自覚しない医師」、「娘を説得する言葉を持たない母」。
理恵とみどり親子の代理出産は、妙高の目にはとても頼りなく映ったのではないだろうか。公表により、この出産は「代理出産」の
良い例として扱われるかもしれない。それは、妙高にとっては非常に危険に思えたのではないかと思う。
しかし、悪意があったとはいえ公表は公表。親子の代理出産の事実は明るみに出たわけで、理恵は今後関われなくとも、
不妊治療の可能性の一つとして世間に提示されたということになる。妙高の複雑な心境が垣間見えて面白かった。
「私を恨みますか?」と尋ねる妙高に首を振り、みどりはこう答える。「見ていてください。私達がこの子をどう育てていくか。」
この親子が答えを出すのは、まだ早いのだと思う。理恵とみどりがいつか子供に事実を伝えた時、それをどう捉えるのか。
「生まれてきて良かった。」とその子が言ってくれた時、この代理出産が「是」となるのだと思う。(クーラン)