ありふれた奇跡  第六話

ありふれた奇跡」遅ればせながら感想を。今回も色々ありましたね〜(笑)。


まず加奈(仲間由紀恵)の苦しみ。衝撃の内容とは
「以前、元彼の子供を妊娠したが、不実な男だったので生みたくなかった。
海外にいる友人のつてで現地で中絶手術をしたが、そのせいで妊娠できない体になってしまった」
ということだった。


正直、ええ?という感じでした。海外で中絶手術(おそらく無許可)・・・。危ないと思うのが普通です。
「なんでわざわざこんな設定に」とは思ったものの、ここまではっきりしていると、今の状態は
加奈の責任以外の何者でもないですからね。言い訳出来ない状況にしたかったのだろうか?


事実を話すと加奈は速攻出ていく。
しかし、好きな娘からそんな話を聞かされて、そのまま放っておけるわけないではないか(笑)。
テンパった翔太(加瀬亮)は、そのまま加奈の家に乗り込むが、加奈は激怒して翔太を追い出す。


とにかく翔太は「子供を産めなくても自分の気持は変わらない」と一刻も早く告げたかったわけです。
しかし、実は加奈自身が、まだその段階まで行っていなかった。
「子供を産めない」「子供がいない人生を送る」という事実をまだ受け止め切れなくて、
苦しみを持て余している状態なのだ。


「子供がいない人生」ということを本気で考えて!と加奈に言われた翔太。
段々と冷静になって、周囲が見えてくる。
寡黙な先輩職人・神戸(松重豊)の親バカ話に耳を傾けたり、街にいる子供に自然と眼が留まる。


そして「田崎ファミリー」の会話。
爺ちゃん(井川比佐史)と父親(風間杜夫)に「子供なんていてもいなくても構わないよね?」
と問いかける翔太。
「爺ちゃんと父ちゃんは喧嘩ばかりだし、母ちゃんは俺のこと邪魔くさかっただろ?」
この言葉はイヤミでもひがみでもなく、翔太にとっては当たり前の事実だったのだと思う。


今までの田崎家のやり取りを見ていると、父・重夫という人は、壮年だけど、人として成熟していない
というか、子供っぽいところのある人に思える。
例えば、ちょっとふんぞり返った姿勢とか。大きな声とか(演じる風間杜夫氏の演技は絶妙だと思う)。
父親に頭が上がらないところとか。
そして極めつけ。女装仲間が偶然にも加奈の父・朋也(岸辺一徳)だと判明、家族にバレるのを恐れ、
これが最後の約束で街に出たが、人に見られる快感が忘れられず、女装は辞めないと朋也に宣言。
人の注目を浴びたいなんて、まるで子供のような自己顕示欲ではないか。
そして、この成熟していないという点は、家出しておきながら重夫や翔太に会いにくる母・律子
(キムラ緑子)にも共通していると思うのだ。


人は当然年をとるが、ただ漠然と年を重ねるだけで自然に人として成熟していくというわけでは
ないだろう。社会に出たり、親になったりすることで、大きく変わっていく部分もあると思う。
しかし、誰もがそれに当てはまるとは言えないと思うのだ。
例えば親になったからといって、100%子供に自身を捧げることが出来ない、どうしても自分を
優先してしまう、育ちきれない部分を抱える人もいるのではないか。
この重夫と律子はそういう人に思える。
前述の翔太の発言は、そういう環境で育ったなかで、自然に出てきた発言なのだと思う。


しかしですね。だからと言って、彼らにとって「子供なんていなくてもいい」なんて、単純な答えには
ならないわけです。
「俺に子供が出来たら嬉しい?」と聞く翔太に重夫は「当たり前だ!」と即答し、翔太が
「子供を作る気はない」と言っていると聞いた律子は、「なんでそんな事言うの!」と彼に詰め寄る。
100パーで愛せなくとも、当然、彼らは翔太の事を愛してるんですよ。可愛いと思ってるんですよ。
いてくれて良かったと思ってるんです。
自分を優先するから「子供なんていなくてもいい」なんて、簡単に割り切れる話じゃない。


翔太は、「二人の問題」として単純なことだと考えたかったのだと思う。
しかし、いざ考えだすと、家族の期待を感じたり、親の愛情を感じたり、翔太にとっては、
普段あまり考えたことがない事柄が、見えてきたはずだ。


でも、「人と関わる」ってそういうことではないのかな。と思うのだ。
誰かと知り合い、その人と自分について考える。それが、自分達と家族を考えることに繋がる。
更には、自分達と外の世界を考えることに繋がる。
理解しあうことは出来ないかもしれない。しかし、誰かと真剣に向き合えば、自然とこういう形に
なっていくのでは。思いがけず、そんなことも考えさせられましたね。


様々なことに思いを巡らせ、それでも翔太は加奈と生きる人生を選ぼうとしている。
でも、大丈夫か?次回は結構ハードそうだぞ〜。頑張れ翔太!!(クーラン)