それでも、生きてゆく 初回感想

<あらすじ>1996年、洋貴(瑛太)の妹・亜紀が殺された。洋貴はその日、母・響子(大竹しのぶ)から妹の世話を頼まれていたが、
約束を守っていなかった。そして犯人は洋貴の友達・文哉だったことが判明する…。その後、家族は壊れ、洋貴は父・達彦(柄本明)と
二人暮らし。洋貴には今でも自責の念がある。一方、加害者家族は、ひっそりと暮らすもその先々で、何者かの密告が入り
引っ越しを繰り返していた。15年後、洋貴は本来出会うはずがない女性と出会う。加害者の妹・遠山双葉(満島ひかり)だった…。


今、これを見なければいけないのか? 気持ち的に引いてますが、なんとか見ました。今更感想を。
初回は、主人公・洋貴の心の変遷が興味深かった。
妹が殺されて15年。父と釣り掘り屋を営みながら、洋貴は暮らしている。髪はボサボサ。目は虚ろ。食事は薄味を好み、
父・客とも会話は殆どなし。若干異様に見えるが、本人は他人にどう見られているか、たいして興味はないのだろう。洋貴を見ていると、
五感の全てを鈍らせて、何も感じないようにしているように思える。これでも、彼は「生きている」と言えるのだろうか?
彼をそうさせているのは、顔もおぼろげな妹への深い負い目だ。
対する双葉。兄が人を殺して15年。両親は戸籍上離婚して、母・双葉・妹は別姓を名乗っている。しかし、「どんなことが
あっても離れない」と約束して、家族5人で身を寄せ合って生きてきた。それでも、密告によるいじめ・失恋等にけなげに耐えている。


執拗な密告は洋貴父子によるものではないかと推測した双葉が釣り堀を訪ねて二人は出会う。双葉を自殺志願者だと勘違いした
洋貴は励まそうとしたのか、ファミレスでひたすらとりとめのない話をする。
「自分29で誰とも付き合ったことないんです」「大震災の時、何してましたか」「妹が殺された時の詳細な情報」
「遠山さんのタンドリーチキン美味そうすね」
世間話・国難・家族の悲劇・目の前の食物。あまりにもかけ離れた話題をセットメニューのようにべらべらとしゃべり続ける
洋貴の様子は少し異様だ。食事に相応しい話題の選択も全く意識にないらしい。
耐え切れずファミレスを飛び出した双葉は「普通、もっときつくないっすか!!あんな話、聞かされて、食べられるわけがない!」と
言い放つ。その双葉に「普通じゃないんで、妹、殺されるの・・・・」と呟く洋貴。
加害者の家族だからこそ、人一倍、日々を普通に暮らしていこうと踏ん張っているのが双葉なのだとしたら、普通はおろか、感じることも
生きることも放棄してしまったのが、洋貴なのかとも思える。
店の外で膝を抱える二人の上の窓からは、中で楽しげに食事を味わう客の姿が見える。癒えない苦しみを抱える二人の事情を
知っているだけに、まるで天国と地獄のような光景に見えた。


洋貴がこうなってしまったのは、もちろん妹への負い目が一番だろうが、父の達彦もその原因の一部なのではないかと思った。
妹が死んだ後、達彦は家族が止めるのも聞かず、亜紀の写真・遺品を燃やしてしまった。
泣き叫ぶ妻に「もう忘れろ。子供はまた作ればいいじゃないか」と言う達彦に愕然とした。
これは絶対に言ってはいけない一言だろう。家族の一員だった亜紀を忘れられるはずがないし、例え子供が生まれたとしても、
その子は亜紀ではない。亜紀はこの世に一人しかいないし、誰も代わりは出来ないのだ。
達彦なりに家族を立て直そうとした言葉なのだと思う。でも響子は、達彦にとっての娘はその程度の存在だったのか。と絶望したに
違いない。響子と弟・耕平(田中圭)が、達彦に冷淡な態度をとる理由がなんとなく分かる。洋貴の家族は同じ方向を向いて、
哀しみに向き合う事が出来なかった。亜紀が殺されたから、家族が壊れたわけではない。この一言で、洋貴の家族は崩壊して
しまったのだ。しかし、皮肉にも息子達は達彦の言ったことを実践してきたのだと思う。洋貴は五感を鈍らせるうちに亜紀の顔も忘れ、
耕平は日々の暮らしを現実的に営むうちに、亜紀の誕生日も忘れている。これが達彦の望んでいたことなのだろうか?


そんな達彦の本心が吐露される。
実は達彦は末期癌だった。死ぬ前に、少年Aが今、どこで、どうしているか。どうしてそんなことになったのか、確かめたかった達彦は、
医療少年院の看護師と接触することに成功し、少年院にいた頃の事を教えてもらう。少年Aは8年前に既に退院していたのだった・・・。
そして、少年Aが描いたという絵が差し出される。そこには、光、差し込む美しい湖に浮かぶ亜季らしき少女の姿が。
今でも洋貴達を苦しめる忌まわしい出来事は、その絵の中では、美しい光景となっていたのである。
「全く反省していない! 何故、亜季を殺した人間が生きているんだ!!!」
亜紀がいなくなった、とてつもなく長く、暗い一日。亜季のあげていた凧が急に落ちていくのを見たのに、何もしなかった。
自分が死なせてしまったと嘆き、もう動けない自分の代わりに、復讐してくれと洋貴に縋り付く達彦。「忘れる」どころではない。
達彦も亜紀を忘れられずにずっと苦しんでいたのだ。
父子の嘆きを目の当たりにした双葉は耐え切れず出ていく。彼女は何をしに来たのだろうか?
「もう15年も経ったのだから、嫌がらせは止めて下さい」と言いに来たのかもしれない。しかし、何年経とうと遺族の苦しみは
癒えることはない。地の底を這いずり回るような彼らの慟哭を前にして、愕然とする双葉の姿も見ていて辛かった。


しかし、そんな達彦の願いが洋貴を一変させる。抑え込んでいた感情を解放した洋貴は亜紀の顔を思い出す。髪を切り、
冷たい湖に身を浸し、チャーハンにソースをぶっかける。
眠っていた五感が徐々に呼び覚まされ、目に精気が宿っていく洋貴の様子に目が離せなかった。しかし、少年A・文哉を見つけ、
父の無念を晴らそうとする洋貴の前に、またもや双葉が現れる。今度は被害者の兄・加害者の妹として対峙する二人の今後は、
どう考えても苦しいことだけにしか思えず、考えただけでも辛い。


洋貴が響子に叫んだ「それでも、生きていきますから!」というセリフが印象的だった。
「生きる」というのは、以前の洋貴のようにただ呼吸をしていることではないだろう。何かを考えたり、感じたりしなければ、
生きているとは言えない。でもそれは、悲しみ・苦しみ・憎しみ・痛みも感じなければならないということだ。取り返しのつかない
過ちを直視し続けなければならないということだ。以前の洋貴の方が楽だろう。それでも、「生きる」ことを選択した洋貴の
これからが気になる。「憎しみ」が洋貴を生き直させたのなら、「フランダースの犬のネロは生まれてきて良かった。
亜季は生まれてきてよかった」といつか彼に思わせるものは、いったい何なのだろう? 双葉共々洋貴の今後を見ていきたい。


ちなみに、文哉を演じているのが、風間俊介クンだったのが衝撃だった。文哉はもう一人の兼末健次郎なのかも等とついつい
考えてしまいます。(クーラン)